風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

もし、全能の神が、私の味方であるなら

  モーセが手を海に向かって差し伸べると、
主は夜もすがら激しい東風をもって
海を押し返された。
出エジプト14:21

 私は確信します。
死も命も、
天使も支配する者も、
現在のものも未来のものも、
力ある者も高い所の者も低い所の者も、
他のどんな被造物も、
主キリストによって示された神の愛から
私たちを引き離す事はできない。
ロマ書8:38~39

 ヨハネ19:16~30
 Ⅱコリント5:(14b~18)19~21
 ヨハネ19:16b~30(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句3/30;金)

 エジプトを脱出したイスラエルの民、
前は葦の海、
後ろからは、追いかけて来たエジプト王パロの率いる戦車隊が迫る
絶体絶命の時、
天の神、主は、モーセ
「あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、
イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を行くようにせよ」
と命じられたのだそうです(出エジプト14:16新改訳)。

 そして、モーセがそのおことばのとおりに、
手を海に向かって差し伸べると、
神である主は、一晩中激しい東風を吹かせて海を押し返され、
水は分かれて、右と左に壁となり、
イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を進んで行ったのだそうです。

 そのように、海の水をさえ退かせる力ある方が、
人の手にかかって十字架刑で処刑を受けられたのだそうです。

 兵士たちのあざけりを受けられ、
自分がかかる十字架を背負ってゴルゴタと呼ばれる処刑場まで歩かれ、
大きな釘で手と足を十字架に釘づけにされるままにされてくださったのだそうです。


 番をしている4人のローマ兵は、
エスの十字架の足もとで、
エスの上着を縫い目から4つに分け、
下着は縫い目なしだったので裂かずにくじ引きにしたり、
していたのだそうです。詩編22:18に書いてあるとおりに。

 イエスは、十字架刑での苦しみの中から、
そばに立っている母マリヤを愛する弟子(ヨハネ)に託し、
「完了した」と言われて、
午後の3時頃、ちょうど、過ぎ越しの小羊がほふられるその時間に、
霊をお渡しになったのだそうです(ヨハネ19:16~30)。

 このようにして、〔父である神〕は、
ひとりの人、イエスをすべての人のために処刑し、
すべての人の〔生まれたときからの私〕という霊が
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 生きている人々が、もはや自分のために生きるのではなく、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊から来る思いによって生きるのではなく、
自分のために死んでよみがえった方のために生きる、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる、
〔父である神〕の御思いによって生きる、
〔父である神〕と心を一つにして生きる、
新しく造られた人となるために(Ⅱコリント5:14b~17)。

 このことによって、〔父である神〕は、
私たち人間をご自分と和解させ、
違反行為の責めを私たちに負わせないで、
和解のことばを私たちにゆだねられたのだそうです。
エスによる、この神の和解を受け取ってほしいと懇願しながら。

 神は、罪を知らない方、イエス
私たちの身代わりに罪とされ、処刑されました。
私たちがこの方、イエスにあって、
神の義、神との正しい関係に復帰するために(Ⅱコリント5:18~21)。

 だから、もう、死も命も、天使も支配する者も、
現在のものも未来のものも、
力ある者も高い所の者も低い所の者も、
他のどんな被造物も、
主キリストによって示された神の愛から
私たちを引き離す事はできないのだそうです。

 神との和解を受け入れ、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕と心を一つにして生きる者を。

 天の神、主は、海の水を分け、
イスラエルの民を、かわいたちを行くように進ませたように、
私たちにも、してくださるのだそうですから。
今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >