風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

背を向け、聞こうとしない者を

 私の神よ、
昼は、呼び求めても答えてくださらない。
夜も、黙ることをお許しにならない。
詩22:3

 二人が
「一緒にお泊りください。
そろそろ夕方になりますし、
もう日も傾いていますから」と言って、
無理に引き止めたので、
エスは共に泊まるために家に入られた。ルカ24:29

 ルカ4:13~35
 Ⅰコリント15:12~20
 ヨハネ20:11~18(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/2;月)

  お前は、わたしに顔を向けず、
かえって背を向け、
しかも、災難に遭えば
「立ち上がって、私たちをお救いください」と言う。
エレミヤ2:27


 あなたは、
神のあわれみがあなたを
悔い改めに導くことも知らないのですか。
ロマ2:4

 ヨハネ20:1~10
 ヨハネ20:19~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/3;火)


 イエスは、片時も〔父である神〕と離れたことのない、
〔父である神〕と一つになっておられる方でしたが、
私たち、すべての人のそむきの責任をご自身の身に負い、
神にそむく者、神に呪われたものとして
〔父である神〕から切り離され、
叫び求めても答えてもらいない、
断罪されたものとなってくださったのだそうです。

 イエスが十字架刑で処刑され、
死んで葬られたのは金曜日のことだったのだそうです。
その日没からは安息日(土曜日)が始まり、
そして、週の初めの日、三日目の日曜日の早朝、
マグダラのマリヤたちが、イエスが葬られた墓に行ってみると、
墓の入口の石は取りのけられており、
エスのからだは墓にはなかったのだそうです。
そして、外で墓のところにたたずんで泣いていたマリヤに、
復活されたイエスが声をかけてくださったのだそうです(ヨハネ20:1~18)。

 また、師と仰ぐイエスが十字架刑で処刑され、
失望のうちにエマオに帰る二人の弟子にも現れてくださり、
一緒に道を行ってくださったのだそうです。

 それがイエスだとは気がつかないで、引き留める二人の弟子の願いを聞き入れて、
家に入ってくださったのだそうですが、
夕食の席で、イエスが、パンを取って祝福し、裂いて渡される様子で、
二人は、それがイエスだとわかったのだそうです。

 また、弟子たちに、復活したイエスが来られたとき、
12弟子の一人、トマスはそこにいなかったのだそうです。
それで。弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言っても、トマスは、
「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ
また私の手をそのわきに差し入れて
(ローマ兵が突き刺した槍の跡に触れて)みなければ、
決して信じません」と言ったのだそうです。

 その八日の後にイエスが現れてくださり、
トマスに言われたのだそうです。
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:19~23)と。


 確かに、イエスは、死者の中から新しい霊のからだによみがえられたのですね。
眠った者の初穂(Ⅰコリント15:20)、
私たちも新しい霊のからだに復活する、
その初めのものとして。

 私たち、天の神、主に背を向け、
その御声を聞こうとしない者です。

けれども、〔父である神〕は、そのような私たちをも、
この、イエスによって成し遂げられた神の憐みの御業に信頼し、より頼んで、
向き変って神に顔を向け、
今は、天の〔父である神〕の右の座におられるイエスを通して来てくださる、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる御思いによって行動していく者にも
してくださるのだそうです。

ご自身と心を一つにする者に。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

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