風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

夢見る人のようになり、笑いと喜びに満たされて

 主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られると聞いて、
私たちは夢を見ている人のようになった。
詩126:1

 イエスは週の初めの日と朝早く、
復活して、
まずマグダラのマリヤに御自身を現された。
以前イエスに悪霊を追い出していただいたマリヤは、
エスと一緒にいた人々が悲しんでいるところに行って、
このことを知らせた。
マルコ16:9~10

 ルカ24:36~47
 ヨハネ21:15~19(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/6:金)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が、
バビロンから捕囚になっていた人たちを連れ帰ってくださり、
シオン、エルサレムの繁栄を元どおりにされたとき、
人々は、夢を見ている者のようになり、
笑いと喜びの叫びとで満たされたのだそうです。

 そして、そのことを伝え聞いた人々も、
「主は大いなることをなされた」と言い、
神をほめたたえたのだそうです。

 愛する主、イエスが十字架刑での処刑を受けられ葬られた墓に、
エスの死体はなく、
墓のそばで泣いていたマリヤに、
新しい霊のからだに復活したイエスが現れてくださったのだそうです。
それで、マリヤは弟子たちのところへ行って、
エスが復活し、生きていることを告げたのだそうです。

 その夜のことだと思われますが、
復活したイエスに会ったことを話し合っている弟子たちの真ん中に、
エスご自身が立たれたのだそうです。

 弟子たちは、霊を見ているのだと思い、
驚き恐れたのだそうですが、
その弟子たちにイエスが言われたのだそうです。
「なぜ取り乱しているのですか。
どうして心に疑いを起こすのですか。
わたしの手やわたしの足を見なさい。
まさしくわたしです。
わたしにさわって、よく見なさい。
霊ならこんな肉や骨はありません。
わたしは持っています」と。

 

 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、
不思議がっているので、
エスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われ、
それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
エスは、彼らの前で、それを取って食べて見せたのだそうです。

 そして、イエスは言われたのだそうです。
「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、
あなたがたに話したことばはこうです。

 わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、
必ず全部成就するということでした。

 次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け、
三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、
エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
あなたがたは、これらのことの証人です。

 さあ、わたしは、
わたしの父が約束してくださったものをあなたがたに送ります。
あなたがたは、
いと高き所から力を着せられるまでは、
都(エルサレム)にとどまっていなさい」(ルカ24:36~49新改訳)と。

 そして、オリーブ山で弟子たちが見守る中、
天の〔父である神)の右の座、
〔御子である神〕の位に帰られたイエスは、
そこから、約束の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちの心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださるので、
受け入れる者は、自由意思において、自発的に、
〔父である神〕と思いと心を一つにし、
〔父である神〕がしようと思われることをしていくようにも
していただけるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、使徒2章)。

 身近に居る、あらゆる人々に、
エスによって手続きが完了し(ヨハネ19:30)、
〔父である神〕から、恵みとしてプレゼントされているこの大いなる御業、
新しい生き方、永遠の命を伝え、
夢見心地になるほどの喜びと笑いを届ける者にも。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)



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