風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

良いものを、すべて、準備していてくださり

主は正しい。
私が主の口に背いたのだ。
哀歌1:18

 永遠の契約の血による羊の大牧者、
私たちの主イエスを、
死者の中から引き上げられた平和の神が、
御心に適うことを
イエス・キリストによって
私たちにしてくださり、
御心を行うために、
すべての良いものを
あなたがたに備えてくださるように。
ヘブル書13:20~21

 創世記32:22b~32
 エフェソ書1:1~10(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4:9;月)

 ユダ王国エルサレムに対して、
天の神、主に立ち返り、
この方と心を一つにして歩むようにと訴え続けた預言者エレミヤ。

しかし、王も民も、エレミヤに聞こうとせず、
おのれの理性の判断によって善いと思う道、
エジプトに頼り、
自分の望む神を神として拝む道から立ち返ろうとはしなかったのだそうです。

 そして、ついに、天の神、主は、預言のことばのとおりに、
バビロン軍を用いて、
ユダ王国エルサレムを、
してご自身の宮、エルサレム神殿を滅ぼし、
主だった者をバビロンの捕囚とされたのだそうです。

それを見て、預言者エレミヤは、嘆きの中で言うのですね。
「このことを行われた、主は正しい。
私が主の口、主の命令に背き、逆らったからだ」と。

 私たち、もし、天の神、主が、私たちの行いに応じて裁かれたら、
このエルサレムのようになる、のでしょうか。

 けれども、天の神、主が、ユダ王国エルサレムを打たれたのは、
滅ぼすためではなく、
回復し、正しい関係に立ち返ってほしいと願ってのこと、だったようです。

 それで、エレミヤの預言にも、
裁きの預言とともに回復の預言が織り交ぜられているのですね。
エルサレムの荒廃が終わるまでの年数を
70年と予告してくださって(エレミヤ25:11、29:10、ダニエル9:2)。

 そして、さらに、私たち人類に対する新しい契約、
人類創造の目的の回復の預言も。

「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
――主の御告げ――
わたしはわたしの律法(神ご自身の御思いと解していいでしょうか)を
彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ31:33新改訳)と。

 そして、預言者エゼキエルを通しては、
さらに具体的に、
そのことが〔わたしの霊〕と呼ばれる方によって実現すると。

 「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、
あなたがたはすべての汚れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、
あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきて(御思い)に従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる」(エゼキエル36:25~27)。

 そして、ついに、そのご計画の時が満ちて、
〔御子である神〕が、女の子孫(創世記3:15)として、
ダビデの子孫(Ⅱサムエル7:14~16、イザヤ11:1)である、
ガリラヤ地方の(イザヤ9:1、マタイ4:15)、
ナザレ村の貧しい一人の処女(イザヤ7:14)、
マリヤの胎を通して(ルカ1:34)、
ダビデの町、ベツレヘムで生まれられ(ミカ5:2、マタイ2:1、ルカ2:1~21)、
およそ33歳の頃、十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 そして、〔父である神〕は、
この十字架刑の処刑で流されたイエスの血をもって、
私たちと新しい契約、永遠の契約が結ばれたこととしてくださったのだそうです。

死んで墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだによみがえらせ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、イエスが生きていることを証明させ、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
天の、ご自身の右の座に帰らせられたのですね。

そして私たちの大牧者として立て、
このイエスを通して、
約束の〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。


 この方が私たち一人一人に対するご自身の御思いを、
私たちの心に置いてくださって、
受け入れる者がご自身と一つ心になり、
私たちそれぞれを通してしようと思われる御思いをしていくようにしていてくださるのだそうです。

 その御思いを、私たちが遂行するのに必要なもの、状況をすべて準備し、整えて。
 

そして、ヤコブが、兄エサウの怒りを恐れて、ヤボク川を渡ることができず、
一晩中、神の人と格闘し(しがみつき)、勝って(根負けさせて)、
祝福をいただき、
名前を、ヤコブ(兄のかかとを者)から
イスラエル(神と争い(しがみつき)勝った者)と
変えていただいたように(創世記32:24~29)、
私たちも、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来た御思いを、
イエス・キリストの御名によって願い求め、
〔父である神〕と一つ願いを願い、
その実現を見ていく者(ピリピ2:13)としていただけるのだそうです。

 神が、世界の基の置かれる前からご計画してくださっていた、
キリストにあって神との一つへと(エペソ1:4~10)。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >