死の陰の谷、苦しみ、嘆きの中で
死の淵がからみつき、
苦しみと嘆きを前にして主の御名を呼ぶ。
「どうか主よ、私の魂をお救いください。」詩116:3、4
弟子たちはイエスを起こして、
「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。
イエスは起き上がって、風を叱り、
湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。
すると、風はやみ、すっかり凪になった。マルコ4:38~39
ヨハネ14 : 1~6
エフェソ書5:1~14(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句4/21;土)
死の陰の谷を歩むようなとき、
死の綱が取り巻き、よみの恐怖が私を襲う、
そのような苦しみと悲しみの中にあって、
私たちは主の御名を呼び、
主の助けを求めることができるのだそうです。
ガリラヤ湖の嵐に遭い、船が沈みそうになったとき、
弟子たちがイエスに助けを求めたように。
イエスは言われました。
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
わたしはあなたがたのために場所を備えに行きます。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたもおらせるためです」(ヨハネ14:1~3新改訳)、と。
私たち、この世にあっては、
〔父である神〕が、
私たち一人一人に思ってくださっている御思いを、
イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
心に置いていただいて、
〔父である神〕と思いを一つにして歩み、
最終的には、イエスがいる所、
イエスが備えてくださった場所、住まいで、
イエスとともに住むことになるのだそうです。
〔父である神〕の私たちに対する御思いは、
私たちが神に愛されている「神の子」の場所にとどまり続けて、
神の子にふさわしい者になるようにと思ってくださっているようです。
不品行も、どんな汚(けが)れも、またむさぼりも、
イエスの十字架刑で処刑に合わせていただいて処刑され、死んだ、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来たものとして、
これを横に見ながら、口にすることなく、
また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談をいとい、避け、
むしろ、感謝する思いが心に満ちるようにと。
むなしいことばに、だまされ、彼らの仲間になることなく、
イエスによる光の中を、
全部、神の御前に差し出し、
見ていただき、知っていただいている明るみの中を歩み、
あらゆる善意と正義と真実に進むようにと(エペソ5:1~16)。
イエスの御名を呼びながら。
今日も。
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