風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神は、すべてのことをあい働かせて、益としてくださり

 主は与え、主は奪う。

主の御名はほめたたえられよ。ヨブ記1:21

 

 神を愛する者たち、

つまり、ご計画に従って召された者たちには、

万事が益となるよう共に働くということを、

私たちは知っています。ロマ書8:28

 

 創世記1:14~19

 エフェソ書6:1~4(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句4/25;水)

 ウツの地にヨブという人がいたのだそうです。
この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていたのだそうです。
彼には七人の息子と三人の娘がいて、
羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、
それに多くのしもべを持っていて、
東の人々の中で一番の富豪だったのだそうです。

 ところが、どうしたことか、
一日のうちに、そのすべて、
子どもたちも財産も、失ってしまったのだそうです。

 その知らせが届いたとき、ヨブは立ち上がり、
その上着を引き裂き、
頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、言ったのだそうです。

「私は裸で母の胎から出て来た。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな」(ヨブ1章、新改訳)と。

 そして、「なぜ、わたしはこのような目に遭わなければならないのか」との
大きな苦悶のすえに、
天の神、主から直接声をかけていただき、
神を体験し、
神と直接話し合える関係に入れていただいたのだそうです。

 そして、天の神、主は、
ヨブのすべての持ち物を2倍にして返してくださり、
この後、140年生き、自分の子どもと、その子の子たちを4代目まで見、
長寿を全うしたのだそうです(ヨブ38章~42章)。

 私たち、原因の分からない、身に覚えのない不幸な出来事、
災いと思える出来事に遭遇することがあります。

 けれども、天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
それが災いのまま終わるのではなく、
それらのすべても、私たちにとって益となるようにしてくださるのだそうです。

 創造の四日目、神は仰せられたのだそうです。
「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。
しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。
また天の大空で光る物となり、地上を照らせ」と。
すると、そのようになった。

 神は二つの大きな光る物を造られ、
大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、
小さいほうの光る物には夜をつかさどらせ、
また、星を造られた。
神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、
昼と夜をつかさどり、光とやみとを区別するようにされた(創世記1:14~19)。

 私たちは、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっていて、
誰にも従わず、
自分の理性の善し悪しの判断のままに生きていきたいものです。

 しかし、天の神、主は、子どもたちが、
エスに合わせられ、イエスの中に存在する者となって、
両親に従う者に、
父と母とを敬う者になってほしいと思っておられるようです。
 私たちがしあわせになり、地上で長生きするように、と。


 そして、両親には、
子どもを怒らせないで、主の教育と訓戒によって育ててほしい(エペソ6:1~4)、と。

 私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
私たちの心にも、
この〔父である神〕の御思いがあるようにしていただけるのだそうですから(エレミヤ31:33、エゼキエル36:25~28)。

 天地創造のとき、神が仰せられると、そのとおりになったように。
私たちにも。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)



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