風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

潤し、満たしてくださるのだそうです。私たちといつも、一緒にいてくださって。

 わたしは疲れた魂を潤し、
衰えた魂に力を満たす。
エレミヤ書31:25

 イエスがレビの家で
食事の席に着いておられたときのことである。
多くの徴税人や罪人も
エスや弟子たちと同席していた。
マルコ2:15

 黙示録4:1~11
 ヘブル書7:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/12;土)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
疲れた魂、渇き、衰えた魂を潤し、
満たそうと思っていてくださる方なのですね。

 それで、イエスは、
世間からは冷たい目で見られ、
村八分のように、除け者にされていた人々と共におられ、
食事の席を一緒にしておられたということでしょうか。

 天の御国でも、そのような人たちが
御座の近くにいるのことになるのかもしれませんね。

 ヨハネは、幻で見た天の御国の様子を次のように記しています。
1 その後、わたしが見ていると、
見よ、開いた門が天にあった。
そして、さきにラッパのような声で
わたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、
「ここに上ってきなさい。そうしたら、
これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。 
2 すると、たちまち、わたしは御霊に感じた。
見よ、御座が天に設けられており、
その御座にいますかたがあった。
3 その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、
また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。 
4 また、御座のまわりには二十四の座があって、
二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、
それらの座についていた。 
5 御座からは、いなずまと、
もろもろの声と、雷鳴とが、発していた。
また、七つのともし火が、御座の前で燃えていた。
これらは、神の七つの霊である。 
6 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。
御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、
その前にも後にも、一面に目がついていた。 
7 第一の生き物はししのようであり、
第二の生き物は雄牛のようであり、
第三の生き物は人のような顔をしており、
第四の生き物は飛ぶわしのようであった。 
8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、
その翼のまわりも内側も目で満ちていた。
そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、
聖なるかな聖なるかな聖なるかな
全能者にして主なる神。
昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。 
9 これらの生き物が、御座にいまし、
かつ、世々限りなく生きておられるかたに、
栄光とほまれとを帰し、また、感謝をささげている時、 
10 二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、
世々限りなく生きておられるかたを拝み、
彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、 
11 「われらの主なる神よ、
あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。
あなたは万物を造られました。
御旨によって、万物は存在し、
また造られたのであります」(黙示録4:1~11)。

 その御座の前には、
ご自身のいのちを、私たちの救いのために献げて、
メルキゼデクに等しい永遠の大祭司となっていてくださる(ヘブル7:1~10)
ほふられたと見える小羊、イエスがいて、
私たちのためにとりなし、

 また、もう一人の助け主、
私たちといつも共にいてくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださるのだそうですから。
私たちが、〔父である神〕と思いを一つにするようにと。

 今日も。

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