風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

恵み、憐れんでいてくださるのだそうです。造られたすべてのものを!

 主はすべてのものに恵みを与え、
造られたすべてのものを
憐れんでくださいます。
詩145:9

 被造物も、
いつか滅びへの隷属から解放されて、
神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかります。
ロマ8:21

 イザヤ書32:11~18
 ヘブル書8:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/16;水)


 天の神、主、「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
ご自身が造られたすべてのものに恵みを与え、
そのすべてのものを憐れんでいてくださる方なのですね。

 それで被造物自体も、
滅びの束縛から解放され、
神の子どもたちの栄光に輝く自由の中に
入れてもらえるようになるようですね。

 荒れ果てていたところに、
ついには、主からの霊、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られ、
荒野が果樹園となり、
果樹園が森と見なされるようになり、
公正は荒野に宿り、
義は果樹園に住み、
義は平和をつくり出し、
義はとこしえの平穏と信頼をもたらし、
神の民は、平和な住まい、安全な家、
安らかないこいの場に住むのだそうです(イザヤ32:15~18)。

 天の神、主は言われます。
「見よ。日が来る。
わたしがイスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。
それは、わたしが彼らの父祖たちの手を引いて、
彼らをエジプトの地から導き出した日に
彼らと結んだ契約のようではない。

 

 彼らがわたしの契約を守り通さないので、
わたしも、彼らを顧みなかったと、主は言われる。

 それらの日の後、
わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。
わたしはわたしの律法を彼らの思いの中に入れ、
彼らの心に書きつける。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 また彼らが、おのおのその町の者に、
また、おのおのその兄弟に教えて、
『主を知れ』と言うことは決してない。
小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、
わたしを知るようになるからである。

 なぜなら、わたしは彼らの不義に憐みをかけ、
もはや、彼らの罪を思いださないからである。」

 神が新しいと言われたときには、
初めのもの(モーセを通して結ばれた契約)を
古いとされたのです(ヘブル8:8~13、新改訳)。。


 そして、イエスは、
このさらにすぐれた契約に基づいて制定された、
さらにすぐれた契約の仲介者、大祭司として、
天におられる大能者の右の座に着座され(ヘブル8:1)、
神の恵みとあわれみにより、
ご自分のいのちをもって、
私たち人間や造られたすべてのもののために
執り成し、弁護し、


 また、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって
御思いを書きつけ、
御自身と心を一つにして生きる者にしてくださるのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)



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