風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

武力によらず、権力によらず、ただ、わが霊によって

武力によらず、
権力によらず、
ただわが霊によって、
と万軍の主は言われる。
ゼカリヤ書4:6(5/20の週の聖句)

 主の手が短くて救えないのではない。
主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
むしろお前たちの悪が、
神とお前たちとの間を隔てている。
イザヤ書59:1~2

 イエスの言葉:
わたしが行けば、
弁護者をあなたがたのところに送る。
その方が来れば、
罪について、
義について、
また、裁きについて、
世の誤りを明らかにする。
ヨハネ16:7~8

 ヨハネ14:23~27
 詩99(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/20;Ⅲ日曜、ペンテコステ聖霊降臨祭)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方が事を行われるのは、
〔わが霊〕によると仰られるのですね。
武力によってでもなく、
権力によってでもなく。

 私たちは、神が私たちの祈りに応えられないのは、
神の手が短くて、
あるいは、神の耳が遠くて応えられないのだと思うのですね。

 けれども、神である主は仰られます。
それはおまえたちの悪、「的外れ」が、わたしとの間を隔て、
仕切りとなり、御顔を隠させててしまっているせいだ、と。

 だから、イエスは仰るのですね。
わたしが行けば、
わたしが、あなたたちの悪、「的外れ」の責任を負って、
あなたたちの身代わりとなり、
神に呪われた者となって、十字架刑での処刑を受けて、
あなたがたの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑された者、死んだものとしたうえで、

新しい霊のからだに復活し、
天の父である神の右の座に帰ったならば、

弁護者、もう一人の助け主、
〔わが霊〕と言われる〔聖である霊〕と呼ばれる方を
あなたがたのところに派遣すると。

 その方が来ると、罪について、義について、裁きについて、
私たちの認識の誤りを明らかにする、と。

 イエスの十字架刑での処刑による救いの手続きが完了した、
その時には、
 罪とは、このイエスによる、神からの恵みのプレゼントを、
信じないこと、受け取らないことであり、

 イエスが父である神の右の座に帰られて、
受け取る者にご自身の義を着せてくださるので、
私たちは、自分の力で律法を守って、
神の前に義と認めてもらう義を立てなくてよくなること、

 そして、この世の支配者、サタンが
自分の滅びに私たちを道連れにしようとする道が閉ざされ、
サタンの滅びが確定することになる(ヨハネ16:9~11)、と。

 その方は、受け入れる者の心に、

ご自身の神への愛の思いを置いてくださるので、
受け入れる者も神を愛する思いをいただいて、
エスと同じ思いを願うようになり、
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
受け入れる者のところに来てくださり、
ともに住んでくださることになる、と。

 それで、この方をお迎えする者は、
エスが、
「助け主、
すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、
あなたがたにすべてのことを教え、
また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを
思い起こさせてくださいます。

 わたしは、あなたがたに平安を残します。
わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしが与えるのは、世が与えるのとは違います。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。
恐れてはなりません」(ヨハネ14:23~27、新改訳)
と言われたとおりにしていただけるのだそうですから。

 武力によらず、権力によらず、
ただこの方によって。
この新しい週も。

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