風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

怒りを遅くし、自分の心を治め、互いの向上に役立つことを求める思いが心に来て

 忍耐は力の強さにまさる。
自制の力は町を占領するにまさる。
箴言16:32

 平和や
互いの向上に役立つことを
追い求めようではありませんか。
ロマ書14:19

 エフェソ書3:11~14
 ヘブル書10:19~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/23;水)

 忍耐し、怒りを遅くする者は
力の強い勇士にままさり、
自制し、自分の心を治める者は
町を攻め取り、占領するのにまさるのだそうです。

 その怒りや自分で治めることが困難な思いは、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来ているものなのですね。

 それで、この〔生まれたときからの私〕という霊をを、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて
死んだものとしていただき、
この私自身である〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを、
死んだものから出て来た思いだと認めて、
これを横に置き、横に見て行きながら、

 十字架刑での処刑を受けて、墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しいからだに復活し、
天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって生きるなら、
私たちも、〔父である神〕の忍耐、怒りを遅くする心で生きることになり、
自制、自分の心を治め、
平和に、互いの向上に役立つ生き方をするようになるのだそうです。

 この、神と心を一つにして生きるという新しい生き方は、
神の永遠のご計画、天地が造られる前からのご計画であって、
エスにおいて成し遂げられたものなのだそうです。

 この生き方をしている者は、
エスに合わせられたものとして、
大胆に確信をもって神に近づくことができるのですね(エペソ3:11~12)。

 イエスは、ご自分の肉体をもって
十字架刑で処刑を受けることによって
この新しい生ける道を設けてくださり、
神の家をつかさどる大祭司として、
〔父である神〕の右の座にいて、
私たちを執り成し、弁護していてくださるのだそうです。

 だから、勧められているのですね。
私たちは、心にイエスの血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、
からだをきよい水で洗われたものとして、
全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

 約束された方は真実な方ですから、
私たちは動揺しないで、
しっかりと希望を告白しようではありませんか。

 また、互いに勧め合って、
愛と善行を促すよう注意し合おうではありませんか。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、
かえって励まし合い、
かの日(イエスが二度目に来られる日)が近づいているのを見て、
ますますそうしようではありませんか(ヘブル10:19~25、新改訳)、と。

 いよいよ、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方が、心に置いてくださる御思いについて行き、
〔父である神〕の忍耐、怒りを遅くする心、
自制、自分の心を治め、
平和に、互いの向上に役立つ生き方に進めますように。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)




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