風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

慈しみ、恵み、まことであられる方が、私たちに来てくださって

 神よ、遣わしてください。
慈しみとまことを。
詩57:4

 私たちは、
御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、
またそのことを証ししています。
Ⅰヨハネ4:14

 Ⅱペテロ1:16~21
 ヘブル書12:12~17(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句6/1;金)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たち、願う者に慈しみ、恵みとまことをお遣わしくださる方。

 ヨハネは言うのですね。
〔父である神〕が、〔御子である神〕を人として、
約束の「女の子孫」(創世記3:15)として、
ダビデの子孫」であるナザレ村の一処女マリヤの胎を通して、
この人の世に派遣されたこと(ルカ1:26~38、2:1~21)、

 イエスが十字架刑での処刑を受け、
死んで葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだによみがえり、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて
ご自分が生きていることを見せ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、雲に迎えられ、
天の父である神の右の座に帰られた出来事は、
うまく考え出した作り話ではなく、
この人間の歴史の中で、
事実として起こった出来事であり、
私たちはそれを見て、証言しているのだ、と。

 ペテロも、
「この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです」と書きしるしています。
聖なる山でイエスとともにいて、
「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である」との、
おごそかな、栄光の神からの御声を自分自身で聞いた、と。

 私たちは確かな預言のみことばを持っているので、
夜明けとなって、開けの明星が心の中に上るまでは、
暗い所を照らすともしびとして、
その預言のことばに目を留め、
すでに知っており、
現に持っている真理に堅く立っているとはいえ、
いつもこれらのことを聞き、読んで、思い起こすように、と(Ⅱペテロ1:16~21)。

 イエスが、天の〔父である神〕の右の座にあって派遣してくださる
もう一人の助け主(ヨハネ14:16)、
慈しみ、恵み、まことであられる方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
私たちの弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしてくださるのだそうです。
なえた足が関節をはずさないため、
いやされるために、道をまっすぐにしてくださり。

 すべての人との平和を追い求め、
聖められることを追い求め、
主を見ることが出来るように。

 そのために、よく監督して、
だれも神の恵みから落ちることがないように、
また、苦い根が芽を出して悩ましたり、
これによって多くの人が汚されたりすることがないように、と。

 また、不品行の者や、
一杯のレンズ豆の煮物と引き換えに
自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような(創世記25:29~34)、
俗悪な者、
この世的な物質主義者にならないように(ヘブル12:12~17)、と。

いつも、私たちと共にいて。
 今日も。

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