風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

今はまだ、目に見えないものを待ち望んで

 あなたは私を救ってくださる神。
絶えることなくあなたに望みを置いています。
詩25:5

 私たちは、
目に見えないものを望んでいるなら、
忍耐して待ち望むのです。
ロマ書8:25

 ヨハネ14:7~14
 ヘブル書12:18~24(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句6/2;土)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者である」と名乗られる方は、
私たちを救ってくださる方。
私たちの望みはこの方にあるのですね。

 私たちは、目に見えないもの、
この方ご自身、
この方の御思いが、地に、
私自身になることを待ち望むようにしていただいている者、なのです。

 十字架刑での処刑を受けて、死んで葬られ、
私たちの、私たち自身である
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑済みのもの、死んだものとする手続きを完了してくださって、

 三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 そのイエスが、〔父である神〕の右の座にあって
私たちに派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
その方によって、私たち自身も、
心の中でうめきながら、
神の子としていただくこと、
すなわち、私たちのからだが贖(あがな)われることを待ち望む
希望を与えていただいているのですから。

 神は、あらかじめ知っておられる人々を、
御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定めてくださっているのだそうです。

 そして、あらかじめ定めた人々をさらに召し、
召した人々をさらに義と認め、
義と認めた人々には
さらに栄光をお与えになっているのだそうですから(ロマ8:23~30)。

 イエスは、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)
造られた者の在り方、
「わたしが父におり、父がわたしにおられる」、
「わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられる」(ヨハネ14:10~11)、
その在り方を私たちに見せて(14:9)くださったのですね。

 〔父である神〕は、受け入れる者に、
このイエスを通して
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを心に置いてくださり、
私たちが、ご自身と同じ思いを思うように、
心を一つにする者にしようとしていてくださるのだそうです。

 イエスに似たものとして、イエスのように、
「自分からは何事もせず」、
〔生まれたときからの私〕という霊から来る思いは、実行せず、
「処刑された者」、「死んだもの」から来た思いであると認めて、
神の前に差し出し、横にながめながら、

 「ただ父がわたしに教えられたとおりに、
これらのことをしている」(ヨハネ8:28、12:50)、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いのとおりをしていく者に。
「わたし(イエス)の行うわざを行う」(ヨハネ14:12)者にしようと。

 そして、イエスと同じ栄光に輝く者にしようと。
シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム
無数の、千の幾千倍、万の幾万倍の御使いたち(黙示録5:11)の大祝会、
天に登録されている長子たちの集会、
万民の審判者である神、
全うされている義人たちの霊、
さらに、新しい契約の仲介者イエス
そのイエスが流してくださった罪をきよめる注ぎかけの血に
あずからせようと(ヘブル12:22~24)。

 私たち、まだ見ていないもの、
それらが私の身に実現することを待ち望んでいくのですね。
絶えることなく。
このイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕によって。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)