風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

砕かれた、悔いた心で

 恐れるな、

わたしはあなたを贖(あがな)う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。イザヤ書43:1(7/8の週の聖句)

 主は、
家畜のためには牧草を茂らせ、
地から糧を引き出そうと働く人間のために、
さまざまな草木を生えさせられる。
詩104:14

 私たちに必要な糧を
毎日与えてください。
ルカ11:3

 マタイ28:16~20
 詩51(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/8;Ⅱ日曜)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たち、人間を造ろうと考えらたのだそうです。

 そして、まず、私たち人間の住みかとして、
この天地、宇宙、この地球の自然環境を創造し、
整えて下さったのだそうです。

 そして、準備が全部出来上がったところで、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」と仰って、
私たち人間を造ってくださったのだそうです。

 「われわれのかたち、われわれに似せて」。
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛と尊敬において、
自由意思で自発的に、
思いを一つにし、心を一つにし、
行動を一つにし、存在を一つにしていらっしゃる、
その一つに、
愛と尊敬において、
自由意思で、自発的に加わる者をと願われて(創世記1:26)。

 けれども、私たち人間の始祖、アダムとエバは、
造られた場、
その、天の神、主との一つの場にとどまることを善してせず、
もっと偉い者、すばらしい者になろうとして、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになる道を選んだのだそうです(創世記3:5、22)。

 天の神、主に背き、
対立、対抗する者、
創造の目的から「的外れ」になった者に。

 そして、私たちは、その背きの性質と受け継いで、
生まれながらにして、
神にそむく者、「的外れ」の者として生まれて来ているようです。

 けれども、天の神、主は、
そのような私たちを、なお、愛し、大切に思い、
私たち人間を、最初の創造の目的のとおりに、
ご自身と一つになるものに取り返す、回復することを計画されたのだそうです。

 それで、この、私たちの人間の歴史を導き、
この人間の歴史の中に、〔御子である神〕が来られたのだそうです。

 アダムの「的外れ」の性質を受け継がない「女の子孫」(創世記3:15)として、
ダビデの子孫である処女マリヤから生まれたイエスとして。

 そして、この方は、およそ33歳の頃、
私たち人間の身代わりとなり、
私たち人間の「的外れ」の責任をご自身の身に負って、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
神にそむいた者、神に呪われた者として。

 〔父である神〕は、このイエスのいのちを、
私たちの贖(あがな)い(買い戻し)の代金として支払ってくださり、
受け入れる者を、
人となられた〔御子である神〕イエスのいのちで買い戻された者とし、
「わたしのもの」として、
受け入れる者を名をもって呼んで下さるというのですね。

 このイエスは、十字架に架けられ、死んで葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
雲に迎えられ、天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。

 〔父である神〕は、このイエスを通して、
受け入れる者に、
もうひとりの方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 そして、この方によって、
私たちの心に、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
書きつけてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 それで、受け入れる者は、
この部分において、〔父である神〕と同じ思いを思う者、
心を一つにする者としていただけるのだそうです(ヨハネ17:21~23)。
〔父である神〕がその人を通してしようと思われることをしていく者に(ヨハネ14:12)。


 そして、この、新しい生き方を願い、受け取っていく者に、
着る物、食べる物、飲む物など、
生活に必要なすべてのものを添えて与えてくださるのだそうです。

 十字架に架かられ、
三日目に死人のうちより復活したイエスは、
天に帰られる前に、弟子たちに言い残していかれたのだそうです。

 「わたしには天においても、地においても、
いっさいの権威が与えられています。
彼らを教えなさい。
見よ。わたしは、世の終わるまで、
いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:18~20)、と。

 天の神、主は、この、新しい生き方を、
恵みのプレゼントとして
受け取ってほしいと願っておられるのだそうですね。

 砕かれた、悔いた心。
「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、
あなたの豊かな憐れみによって、私の背きの罪をぬぐい去ってください。
どうか私の咎を、私から全く洗い去り、
私の罪から、私をきよめてください。
まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。
ああ、私は咎ある者として生まれ、
罪ある(的外れの)者として母は私を身ごもりました。

 神よ。私にきよい心を造り、
ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
私をあなたの御前から投げ捨てず、
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
あなたの救いの喜びを私に返し、
喜んで仕える霊が、私を支えますように(詩篇51)、
と願う心が、この、プレゼントを受け取ることができる心なのだそうですから。

 神の愛、
エスによる恵みの中へ。
この新しい週も。

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