風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天の神、主に似せられて行く日々に

 主は正義を愛される。詩37:28

 あなたがたは神に愛されている子供ですから、
神に倣う者となりなさい。
エフェソ書5:1

 出エジプト14:15~22
 ヨハネ4:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/9;月)

 施し散らして、
なお富を増す人があり、
与えるべきものを惜しんで、
かえって貧しくなる者がある。
箴言11:24(口語訳)

 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。ヘブル書13:2

 使徒2:32~40
 ヨハネ4:15~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/10;火)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
正義を愛される方、
公義を愛し、ご自身の聖徒を見捨てられない方、なのだそうです。

 私たち、この方から、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、
「わたしたちが一つであるように、
わたしたちと一つである者を」(ヨハネ17:21~23)
と願われて造られていながら、

 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
天の神、主と、思いと一つにし、心を一つにしていく生き方から、
神にそむき、対立、対抗して、
自分のだけの理性による善悪の判断で生きる、
「的外れ」な生き方をする者になっているのだそうです。

 天の神、主は、そのような私たちを、なお、見捨てず、
最初の創造の目的である、
ご自分と心を一つにする者に回復しようとしてくださっているのだそうです。

神に似せられ、神に倣う者に。


 それで、〔父である神〕は、
〔御子〕を、人間イエスとして人の世に派遣し、
この方を私たちすべての人間の身代わりとして木に架け、
十字架刑で処刑して、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしてくださっているのだそうです。

 そして、死んで葬られたイエスを、
三日目に新しい霊のからだに復活させ、
弟子たちの見守る中、
天の、ご自身の右の座に返らせなさったのだそうです(使徒2:32~40)。

 そして、このイエスを通して、
受け入れる者に、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣し、
この方の働きで、
受け入れる者の心に、
ご自身の思いを置いてくださり、
受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、受け入れる者は、
天の神、主に似た者、倣う者ともなって行くのだそうです。

正義を愛し、貧しい人に施し散らし、旅人をもてなす者にも。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
泉から水が湧き出るように、
〔父である神〕が、
私たちひとりひとりを通してしようと思われる思いを
心に湧き出させてくださり(ヨハネ4:14)、
〔父である神〕がしようと思われることが、
大きな幾つもの川々となって
私たちの腹から流れ出る(ヨハネ7:38)ようにしてくださるのだそうですから。

 神に似せられて行く日々に。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)