主は正義の神。
なんと幸いなことか、
すべて主を待ち望む人は。イザヤ書30:18
あなたがたは、 御子が正しい方だと知っているなら、 義を行う者も皆、 神から生まれていることが分かるはずです。Ⅰヨハネ2:29
黙示録3:1~6 ヨハネ5:9b~18( 通読箇所) (ローズンゲン日々の聖句7/14;土)
天の神、主、 「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は言われます。 「ああ、反逆の子ら。 彼らははかりごとをめぐらすが、 わたしによらず、 同盟を結ぶが、 わたしの霊によらず、 罪に罪を増し加えるばかりで、 わたしの指示を仰ごうとしない(イザヤ30:1~2)。
彼らは反逆の民、うそつきの子ら、 主のおしえを聞こうとしない子らだから。 彼らは予見者に、『見るな』と言い、 先見者にはこう言う。 『私たちに正しいことを預言するな。 わたしたちの気に入ることを語り、 偽りの預言をせよ。 道から離れ、小道からそれ、 私たちの前からイスラエルの聖なる方を消せ』。
あなたがたはわたしの言うことをないがしろにし、 しいたげと悪だくみにより頼み、 これに頼った(9~12)。」
天の神、主から、 「われわれのかたちとして、われわれに似せて」 と望まれて造られていながら(創世記1:26)、 それで満足せず、 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22) 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、 このようでしかないようです。
私たちの造り主である天の神、主、 「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、 私たちがそういう者であること、 私たちに期待できないことをよくご存じであられ、 ご自分の側で、一方的に、 「それゆえ、 主は、あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる」のだそうです(18)。 ご自身の正義をもって。
だから、幸いなのだそうです。 この方を待ち望むすべての人は。
〔父である神〕は、〔御子である神〕を、 アダムのこの背き、「的外れ」の性質を受け継がない 「女の子孫」(創世記3:15)、 人間イエスとして人の世に派遣し、 この方を私たち、すべての人間の身代わりとして立て、 神に呪われた者として木に架け、 十字架刑で処刑されたのだそうです。
そして、この、イエスの処刑を、 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊の処刑としてくださり、 私たちの、 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっていて、 天の神、主に背き、 逆らい、 対立、対抗する 〔生まれたときからの私〕という霊を 処刑が終わったもの、 死んだものとしてくださるのだそうです。
そのうえで、 この墓に葬られたイエスを、 三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活させ、 40日に渡って何度も弟子たちに現れさせ、 神の国のことを語らせたあと、 オリーブ山で、弟子たちが見守る中、雲に迎えられ、 ご自分の右の座に帰らせなさったのだそうです。
そして、このイエスを通して、 もう一人の助け主、 〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、 この方によって、私たちの心に、 ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、書きしるし、 受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、 一つ心になって、 ご自身がしようと思われることを、 私たち一人一人がするようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
「わたしはわたし自身からは何事もせず、 ただ父がわたしに教えられたとおりに、 これらのことを話している」(ヨハネ8:28)と仰られた、 御子イエスと同じ在り方に。 「われわれのかたちとして、われわれに似せ」られた者に。
それで、私たちが、 神の御子、イエスが「正しい方」、 その目的、思想、行動において、 〔父である神〕の御心に沿っている方であることを 知っている、認める、確認しているなら、
「義を行う者」、 イエスと同様に〔父である神〕の御心を行なう者(詳訳聖書による)は皆、 イエスを通して来てくださっている 〔聖である霊〕と呼ばれる方によっている、 〔聖である霊〕と呼ばれる方によって 新しく生まれた者である(ヨハネ3:1~8)ことも分かる(Ⅰヨハネ2:29)、というのですね。
私たち、自分の理性を神とし、 自分の理性の善悪の判断で流されて行きやすい者ですが、 初めから聞いたことにとどまり(Ⅰヨハネ2:24)、
自分では生きているつもりでいても、 実は死んでいる」状態に陥りやすい者であることを認めて、 どのように受け、また聞いたのかを思い出し、 それにとどまり、 立ち返りながら歩むように、 と勧められているのですね。 勝利を得る者は、白い衣を着せていただき、 イエスとともに歩むのだそうですから(黙示録3:1~6)。
イエスが、 「わたしの父は今に至るまで働いておられます。 ですからわたしも働いているのです」 と言われたように(ヨハネ5:17)、 私たちも、 イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる 〔父である神〕の御思いに沿って動いてみるのですね。 今日も。
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