風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の民の平和と祝福の中を 

 どうか主が民を祝福して
平和をお与えになるように。
詩29:11

 あなたがたは、
神がすべての者の主なるイエス・キリストによって
平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子らにお送りくださった
御言葉をご存知でしょう。
使徒10:36(口語訳)

 ヨハネ6:47~56
  ヨハネ5:19~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/16;㊊) 

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
ご自身の民に力をお与えになり、
平和を、平安をもって、
ご自身の民を祝福される方なのだそうですね。

 それで、すべての人が
ご自分の民、家族になることを願っておられるのだそうです。

 神はかたよったことをなさらず、
どの国の人であっても、
神を恐れかしこみ、
正義を行なう人なら、神に受け入れられるのだそうですから。

 神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、

イスラエルの子孫に御言葉をお送りになりました。

 このイエス・キリストはすべての人の王です。
神はこの方に聖霊と力を注がれました。
このイエスは、
神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、
また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。

 人々はこの方を木にかけて殺しました。
しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、
現れさせてくださいました。
エスは死者の中からよみがえられて後、
弟子たちといっしょに食事もされました。

 イエスは弟子たちに命じて、
このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、
神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、
そのあかしをするように言われたのです。

 イエスについては、
預言者たちもみな、
この方を信じる者はだれでも、
その名によって罪の赦しが受けられる、
とあかししています(使徒10:35~43新改訳)。


 イエスは、
寂しいところまで追いかけて来た、男だけで5千人ほどいた人々を、
5つのパンと2匹の魚で満腹させて帰されたのですが、
その人々はイエスを王にしようとしてイエスを捜してついて来たのだそうです。

 それで、イエスは、その人々に、
「あなたがたがわたしを捜しているのは、
しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
なくなる食物のためにではなく、
いつまでも保ち、
永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」と答えられたのだそうです。

 それで人々が、
「私たちが神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか」
と尋ねたので、
エスは、
「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、
それが神のわざです」と答えたのだそうです。

 彼らは
「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、
しるしとして何をしてくださいますか。
どのようなことをなさいますか。
私たちの父祖たちは荒野でマナを食べました。
『彼は彼らに天からのパンを与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」
と要求したのだそうです。

 イエスは言われました。
「まことに、あなたがたに告げます。
信じる者は永遠のいのちを持ちます。
わたしはいのちのパンです。
モーセが民に食べさせたマナ(天からのパン)ではなく)
わたしは、天から下って来たパンです。

 だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。
またわたしが与えようとするパンは、
世のいのちのための、わたしの肉です。
わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者は、
永遠のいのちを持っています。
わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

 わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者は、
わたしのうちにとどまり、
わたしも彼の内にとどまります」(ヨハネ6:47~56)。

 それで、弟子たちのうちの多くの者は
「この人は、
どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができようか。
これはひどい言葉だ。
そんなことをだれが聞いておられようか」と言って、離れ去って行き、
もはやイエスとともに歩かなくなったのだそうです。

 イエスは言われます。
「いのちを与えるのは御霊です。
肉は何の益ももたらしません。
わたしがあなたがたに話したことばは、
霊であり、またいのちです。」

 だから、
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」と言っておられる
「肉」とか「血」は、
そこに見えているイエスの肉体、血のことではなく、
霊的なもの、
「話したことば」、
また、そのことばが表そうとしているの「思い」なのでしょうね。

 だから、パン(食べた物)が身体のうちにあり、
また、身体はパン(食べた物)によってできているように、

 「父よ、
あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになり、
わたしたちがひとつであるように、
彼らも一つであるように」(ヨハネ17:21~22)、と言われる、
そのことを言っておられるようです。

 私たちの身代わりになって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人のうちから新しい霊のからだによみがえり、
弟子たちの見ている前で雲に迎えられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方が、私たちの心に
〔父である神〕のことば、御思いを置いてくださり、
〔父である神〕の御思いの中に受け入れる者がおり、
受け入れる者のうちに〔父である神〕の御思いがあるようにしてくださるのだそうです。

 それで、イエスが、
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
子は、父がしておられることを見て行う以外には、
自分からは何事も行うことができません。
父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。
それは、父が子を愛して、
ご自分のなさることをみな、
子にお示しになるからです」(ヨハネ5:19~20)と言われているように、

 わたしたちも、
このわたし自身である〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせていただいて
死んだ者から出て来た思いであると認めて(計算して)、
エスに差し出し、受け取っていただきながら、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いに沿って進んでいくようにしていただけるのだそうです。
神の民、家族にしていただいて
平和と祝福の中を。
今日も。

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