風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

祭司の王国、聖なる国民としてくださって 

 主の言葉:
あなたたちは、
わたしにとって、
祭司の王国、
聖なる国民となる。
出エジプト記19:6

 イエスの言葉:
あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。
ヨハネ20:21

 マタイ22:1~14
 ヨハネ5:24~30(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句7/17;火)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たちを「祭司の王国」、「聖なる国民」としようと
思っていてくださるのだそうですね。

 それで、私たちの
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
ご自身に逆らい、背き、対立、対抗している
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊の「的外れ」を解決するために、

 ご計画の時が満ちたとき、
〔御子である神〕が、
アダムの「的外れ」の性質を受け継がない「女の子孫」(創世記3:15)として、
ダビデ王の子孫であるナザレ村の貧しい一処女、
マリヤの胎を通して、
人間イエスとして人の世に来られたのだそうです。

 そして、およそ33歳の頃、
私たちの「的外れ」の責任をご自分の身に負って
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 〔父である神〕は、
この、御子イエスの受けられた処刑を
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊の処刑としてくださり、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わっている者、死んだもの(ロマ6:4~11)、としてくださるのだそうです。

 〔父である神〕は、
処刑され、墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人のうちから新しい霊のからだによみがえらせ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語るようにされ、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
上げられ、雲に迎えられて見えなくされ(使徒1:3~9)、
ご自身の右の座に帰らせなさったのだそうです。

 そして、このイエスを通して、
もう一人の助け主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって(ヨハネ14:16、ロマ8:15)、

 bこの方によって
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
私たち心に置き、
私たちがご自身と同じ思いを思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 それで、受けれる者は、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは
死んだものから出て来た思いであると認めて(計算して)、
これをイエスの御前に差し出し、受け取っていただきながら、
エスがそうであったように、
〔父である神〕の御思いで生きるようにしていただけるのだそうです。

 〔父である神〕と思いを一つにする聖別された者、
この世から取り分けられた者とし、

 祭司、
この世の人々と神との間に立って、
御思いを受けて執り成していく者にと。

 神ご自身の平和をもって、
〔聖である霊〕と呼ばれる方に覆われ、包まれながら、
今、置かれているそれぞれの場所に神によって派遣された者に。

 道ばたから、王の宴会の席に連れて来られた人のように、
〔父である神〕が用意してくださった礼服、
エスの義(神との正しい関係)を着て(マタイ22:11~13)。

 「自分自身の望むことを求めず、
遣わした方のみこころを求める」ようにしていただきながら(ヨハネ5:30)。
今日も。

 

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