風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

永遠のいのち、〔父である神〕の御思いの中を生きる

 山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、
わたしの結ぶ平和の契約が
揺らぐことはないと、
あなたを憐れむ主は言われる。
イザヤ書54:10

 神は、その独り子をお与えになったほどに、
世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
ヨハネ3:16

 Ⅰコリント12:27~13:3
 ヨハネ7:1~13
   (ローズンゲン日々の聖句7/26;木) 

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たち人間をあわれんでくださる方。
私たちをいつくしんでくださる方なのだそうです。

 私たちは、この方から、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)と願われ、
「われわれ」、
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
愛と尊敬において、
自由意思で自発的に
心を一つにし、
思いを一つにし、
行動を一つにし、
存在を一つにしていらっしゃる、
その一つに、
愛と尊敬において、
自発的に、自由意思で加わる者を
との願いで造られた者なのだそうです。

 けれども、最初の人、アダムとエバは、
その造られた、神と心を一つにする場にとどまることを善しとせず、
もっと偉い者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
造り主である天の神、主に背き、
対立、対抗する者になったのだそうです。
創造の目的から「的外れ」の者に。


 そして、このアダムとエバの子孫である私たち人間は、
この「的はずれ」の性質を受け継いで生まれて来ているのですね。

 けれども、神の慈しみは、
そのような私たち人間からも移ってしまうことはないのだそうです。

 〔御子である神〕が、
このアダムの〔的外れ〕の性質を受け継がない
「女の子孫」(創世記3:15)として、
ダビデの子孫の一人であるナザレ村の貧しい一処女、
マリヤの胎を通して、
人の世の、この歴史の中に来てくださり、

 およそ33歳の頃、
私たち、すべての人間の身代わりとなって、
神に呪われた者となって木に掛けられ、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 〔父である神〕は、
このイエスの受けられた処刑を、
私たち、すべての人間の
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊が処刑されたもの、死んだもの、
処罰が終わっているものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、
受け入れる者にもう一人の助け主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
〔父である神〕が一人一人に思っておられる御思いを
受け入れる者の心に置いてくださり(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、
受け入れる者が〔父である神〕と同じ思いを思い、
一つ心になり、
〔父である神〕がしようと思われることをしていくようにしてくださるのだそうです。
エスがそうであったように。

 それで、受け入れる者は、
「永遠のいのち」の中を生きる、
唯一のまことの神、
〔父である神〕と
〔父である神〕から遣わされた〔御子である神〕イエスを、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって
体験的に知りながら生きる(ヨハネ17:3)、

〔父である神〕の御思いの中を生きる(ヨハネ12:50)ように
していただけるというのですね。

 そして、この平和の契約、新しい契約は、
揺らぐことがないのだそうですから。

 受け入れる者は、
キリストのからだの一部分、各器官として、
かしらであるキリストから来る
〔父である神〕の愛の御思いの中を生きるようにしていただけるのですね(Ⅰコリント12:27~13:3)。

 〔父である神〕のご計画の時々に合わせて(ヨハネ7:6~8)。
今日も。

 

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