風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

今からは、あなたのおことばを守らせてください。

 わたしは迷い出て、


ついに卑しめられました。

 

今からは、


あなたの仰せを守らせてください。
詩119:67

 

 

エスの言葉:

 

わたしを愛する人は、

わたしの言葉を守る。ヨハネ14:23 

 

Ⅰペテロ3:8~17

 ヨハネ7:14~24(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句7/27;金)

 

 私たち、

「神にひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、

自分の理性による善悪の判断のままに、

創造者であられる天の神、主の御心から

迷い出てしまっている者なのですね。

 

 それで、

大きな困難などにより、

自分に力の限界を知り、

自分が造られたものであることを悟ることもあるようです。

 

 そして、造り主である天の神、主のおことばを求め、

御思いのとおりに生きようとするようになることも。

 

 イエスは言われます。

「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」、と。

 

 愛、

「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている

私たちから出て来る愛は、

相手を自分の思うとおりにしようとする傾向があります。

 

 天の神、主から来る愛は、

相手の思うことがそのまま成るように願うもの、

相手の願うようにしてあげたいと思うものなのだそうです。

 

 イエスが、

「わたしが天から下って来たのは、

自分のこころを行なうためではなく、

わたしを遣わした方のみこころを行なうためです」(ヨハネ6:38)と言っておられるように。


 私たちの身代わりとなり、

神に呪われたものとなって

十字架刑での処刑を受けてくださり、

死んで墓に葬られ、

三日目に死人のうちから新しい霊のからだによみがえり、

40日に渡って何度も弟子たちに現れ、

神の国のことを語ったのち、

オリーブ山で弟子たちの見守る中、天に上げられ、

〔父である神〕の右の座に帰られたイエス


 そのイエスを通して来てくださる、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が

受け入れる者の心に置いてくださる

〔父である神〕の御思いは、

私たちが心を一つにし、

同情し合い、

兄弟愛を示し、

憐れみ深く、

謙遜な心で、

悪をもってあくにむくいず、

侮辱をもって侮辱に報いず、

かえって祝福を与えたい思いなのだそうです(Ⅰペテロ3:8~9)。


 イエスが、

私たちに代わって受けてくださった十字架刑での処刑によって、

私自身である

〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑されたもの、死んだものとしていただいた私たちは、

 

 その、自分から、

〔生まれたときからの私〕から出て来る思いは、

「死んだもの」から出て来た思いであると認め(計算し)て

エスの前に差し出し、受け取っていただきながら、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる

〔父である神〕の御思いによって行動するようにしていただけるのだそうですから。

 

 イエスが、

自分から語るのではなく、

〔父である神〕の御思いのとおりを語っておられたように、

語る言葉の一つ一つにおいてさえも(ヨハネ7:17)。

今日も。

 

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