風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神は、呪を祝福に代えてくださり

 あなたの神、主は
あなたのために
呪いを祝福に代えられた。
あなたの神、主が
あなたを愛されたからにほかならない。
申命記23:6

 私たちが誠実でなくても、
キリストは常に真実であられる。
キリストは御自身を、
否むことができないからである。
Ⅱテモテ2:13

 エレミヤ1:11~19
 ヨハネ8:30~36(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/3;金)

 イスラエルの民が
エジプトを出て荒野での生活の40年を経たとき、
天の神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は
言われたのですね。

 「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。
向きを変えて出発せよ。
そしてエモリ人の山地に行き、
その近隣のすべての地、
アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナンの地、レバノン
さらにあの大河ユーフラテス川まで行け。
見よ。
わたしはその地をあなたがたの手に渡している。
行け。その地を所有せよ。

 これは、主が
あなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、
彼らとその後の子孫に与えると言われた地である」(申命記1:6~8)。

 そして、イスラエルの民が
ヨルダンのエリコをのぞむ対岸のモアブの草原に宿営していたとき、
モアブの王、バラクは、
ユーフラテス河畔のペトルにいる占い師バラムを高額の報酬で呼び寄せ、
イスラエルを呪わせようとしたのだそうです。

 けれども、天の神、主は、
バラムがイスラエルの民を呪うことを許さず、
かえって、祝福の言葉を宣べさせたのだそうです(民数記22:1~24:25)。

 そのように、
天の神、主は、
誠実でない、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
御自身に背き、対立、対抗する私たち人間を、
なお、愛してくださって、

 〔御子である神〕が、人となって、人の世に来てくださり、
私たちが受けるはずの呪いを、
御自身に受け取って、
神に呪われたものとなって十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 私たちが受けるべき呪は御子イエスに、
そして、私たちには御子イエスが持っておられる神の子の祝福を与えようと。

 誠実でない私たちに、
神は常に真実に接してくださり、
約束のことばをそのことばのとおりに実行してくださるのだそうですから。

 約束のことばを実現しようと、
見張っていてくださるのだそうですから(エレミヤ1:12)。

 イエスを通して私たちに来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちをイエスのことばにとどまらせ、
真理を知る者に、
罪の奴隷状態から解放し、
自由にしてくださるのだそうですから。
今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)