風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主は、私たちも、正義と恵みの業を満たすために用いると

 主は、シオンに
正義と恵みの業を満たされる。
主はあなたの時を堅く支えられる。
知恵と知識は救いを豊かに与える。
イザヤ書33:5~6

 イエスの言葉:
行って、
「天の国は近づいた」と
宣べ伝えなさい。
マタイ10:7

 ヨハネ4:19~26
 ヨハネ9:13~23(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句8/8;水)

 天の神、主、
「『わたしはある(IAM)」という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
いと高き方、
高い所に住み、
シオン(エルサレム)に
公正と正義、恵みの業を満たされる方。
知恵と知識、
主を恐れることが救いを豊かに与えるのだそうですから。

 それで、イエスは、
弟子たちを村々に派遣して、
「天の国」、
この方の統治が近づいたと伝えさせたのですね。

 イエスご自身が、
この方、
「このわたしがそれです」(ヨハネ4:26)と言われる方なのだそうですから。


 イエスが通って行かれる道ばたに、
生まれたときから目が見えない一人の男性が座っていて
物乞いをしていたのだそうです。

 弟子たちは、その人を見て
エスに質問したのですね。
「彼が盲目に生まれついたのは、
だれが罪を犯したからですか。
この人ですか。その両親ですか。」

 イエスは、
この人が罪を犯したのでもなく、
両親でもありません。
神の業がこの人に現れるためです」と答えて、

 地面につばきをして、
そのつばきで泥を作り、
その盲人の目に塗って言われたのだそうです。

 「行って、
シロアムの池で洗いなさい。」

 そこで、彼は行って、洗うと、
目が見えるようになって帰って行ったのだそうです(ヨハネ9:1~7)。

 イエスは、
生まれつきの盲人の目を見えるようにもされる、
力のある方、
人となられた神の御子、キリストなのですね(ヨハネ9:16~17、22)。

 イエスは、
「わたしは、
わたし自身からは何事もせず、
ただ父が教えられたとおりに話している」(ヨハネ8:28)
と言っておられます。

 そして、〔父である神〕は、
私たち一人一人にも、
私たち一人一人を通してしようと思っておられる計画があるのだそうです。

 〔父である神〕は、
私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けて死んでくださり、

 三日目、日曜日の早朝、
死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、

 オリーブ山で、
弟子たちが見守る中、
上げられ、
雲に迎えられ見えなくなったイエス使徒1:3~9)、

 〔父である神〕の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださり、
この方によって、私たちひとりひとりに思っておられる御思いを、
心に置いてくださって、

わたしたちの心に御自身の御思いがあるようにしてくださり、
御自身と一つ心にしてくださって、

 私たちを、
ご自身がしようと思われることをしていく者にしてくださるのだそうです。
恵みの御業を。
エスがそうであったように。
今日も。

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