風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

謙遜、自分の実体を、そのまま認めて

 神は

高慢な者を敵とし、

謙遜な者に恵みをお与えになる。Ⅰペトロ5:5

 

 神の僕の言葉:

私は
打とうとする者には背中をまかせ、
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、
嘲りと唾を受けた。
イザヤ書50:6

 イエス
門の外で苦難に遭われたのです。
だから、私たちは、
エスが受けられた辱しめを担い、
宿営の外に出て、
そのみもとに赴こうではありませんか。
ヘブル書13:12~13

 ルカ18:9~14
 詩148(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句8/12;Ⅱ日曜)

 あなたたちは、
あなたたち神、主に従い、
これを畏れ、
その戒めを守り、
御声に聞き従い、
これに仕え、
これにつき従わねばならない。
申命記13:5

 イエスの言葉:
わたしが
あなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい。
これがわたしたの掟である。
ヨハネ15:12

 マタイ23:1~12
 ヨハネ10:11~21(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句8/13;月)

 イザヤは言います。
「神である主は、私に弟子の舌を与え、
疲れた者をことばで励ますことを教え、

朝ごとに、私を呼び覚まし、
私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。
神である主は、私の耳を開かれた。
私は逆らわず、後ろに退きもせず、
打つ者に私の背中をまかせ、
ひげを抜く者に私の頬をまかせ、
侮辱されても、つばきをかけられても、
私の顔を隠さなかった(イザヤ50:4~6新改訳)。

 そして、それから700年ほど後、
エスは、捕らえられ、
人々が顔につばきをかけ、
こぶしでなぐりつけ、
平手で打ち、
嘲笑するのを(マタイ26:67)、避けようともしないで、
そのまま受けていかれ、

 そして、ついに十字架刑での処刑を、
されるままに受けていかれたのだそうです。
遣わされた方、〔父である神〕の御思いに従って(ヨハネ10:18)。 

 〔父である神〕は、
私たちを、
そのイエスに合わせて、十字架刑で処刑されたものとみなしてくださって、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
〔うまれたときからの私〕という霊の
死亡手続きをしたくださるのだそうです。

 そのうえで、
このイエスを通して
もう一人の助け主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方の働きで、
受け入れる者の心に御自身の御思いを置いてくださり、
受け入れる者の心に
御自身の御思いがあるようにしてくださって(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、
受け入れる者が、
ご自身の御思いによって生きるようにしてくださるのだそうです。

 イエスが私たちを愛してくださっている、
その愛の思いが心に来て、
エスと一つ心になって、

その同じ愛で私たちも互いに愛するようにも
してくださるのだそうですから。
この新しい週も。

 

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