風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主は、私たちを遣わして

 彼は

傷ついた葦を折ることなく、

暗くなっていく灯心を消すこともない。イザヤ書42:3(8/19の週の聖句)

 

 主は私たちを遣わして、

主が恵みをお与えになる年、

私たちの神が報復される日を告知する。イザヤ書61:1~2

 

 パウロの手紙:

私たちは

あなたがたの喜びのために

協力する者です。Ⅱコリント1:24

 

 マルコ7:31 ~37

 詩41(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句8/19;Ⅲ日曜)

 

 「彼」、

〔父である神〕が、「わたし」がささえる、「わたしのしもべ」とおっしゃる方。

「わたし」の心の喜ぶ「わたし」が選んだ者。

「わたし」は彼の上に「わたし」の霊を授け、

彼は国々に公義をもたらす。

彼は叫ばず、声をあげず、

ちまたにその声を聞かせない。彼

はいたんだ葦を折ることもなく、

くすぶる燈心を消すこともなく、

まことをもって公義をもたらす(イザヤ42:1~3新改訳)。

 

 彼の上には、神である主の霊があるのだそうです。

天の神、主、

「『わたしはある(IAM)』と名乗られる方が、

この方に油、〔聖である霊〕と呼ばれる方を注ぎ、

貧しい者に良い知らせを伝え、

心の傷ついた者をいやすためにこの方を遣わされた。

捕らわれ人には解放を、

囚人には釈放を告げ、

主の恵みの年と、

われわれの神の復讐の日を告げ、

すべての悲しむ者を慰め、

シオンの悲しむ者たちに、

灰の代わりに頭の飾りを、

悲しみの代わりに喜びの油を、

憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために(イザヤ61:1~3)。

 


 そして、この「彼」、イエスによって派遣された

「わたしの霊」、「聖である霊〕と呼ばれる方が

心に置いてくださる

〔父である神〕の御思いによって生きる者も、

エスの弟子たちの喜びのために協力する者にしていただけるのだそうです。

 

 イエスが、深い嘆息をもって、

耳の聞こえない人を聞こえるようにされたようにも(マルコ7:31~37)。

 

 〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いて下さる

〔父である神〕の御思いのとおりに。

この新しい週も。

 

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