風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

いつも、あなたがたのために祈り

 主よ、

まことに憐れみ深いあなたは、

彼らを滅ぼし尽くそうとはなさらず、

見捨てようとはなさらなかった。ネヘミヤ記9:31

 

 私たちは、

いつもあなたがたのために祈り

私たちのイエス・キリストの父である神に

感謝しています。コロサイ書1:3

 

 使徒9:31~35

 Ⅰヨハネ2:18~29(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句8/22;水)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方は、

情け深く、憐れみ深い神。

 

 「われわれのかたちとして、

われわれに似せて」(創世紀1:26)、

 

「〔父である神〕が〔御子である神・イエス〕におられ、

〔御子イエス〕が〔父である神〕におられるように、

私たちも

〔父である神〕、〔御子である神〕におるようになって、

 

 〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊と呼ばれる神〕がひとつであるように、

私たちも、そのひとつにある(ヨハネ17:21~22)ように、

との願いで造られていながら、

 

 「神のひとりのようになり、

善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、

天の神、主にそむき、うなじをこわくして、

聞き入れようとしない

その私たちを見捨てようとはなさらないのだそうです。

 

 イエスご自身が

私たちのために祈っていてくださり(ルカ22:32)、

〔聖である霊〕と呼ばれる方ご自身が、

言いようもない深いうめきによって、

私たちのために執り成していてくださるのだそうですから。

 

 そして、天の神、主は、

中風で8年間も床に着いていたアイネヤという人も、

深く憐れんでくださって、

ペテロを派遣し、いやしてくださる、

そういうこともしてくださるのですね(使徒9:32~34)。

 

 天の神、主は、

私たちを初めから聞いたことばのうちにとどまらせ、

イエス・キリストが再び来られるとき、

御前で恥じ入ることのないようにしてくださるのだそうです。

 

 神から出たもの、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる、

〔父である神〕の御思いによって生きている者として(Ⅰヨハネ2:24~29)。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)