風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

事実をもって、ご自身が生けるまことの神であることの証しを立てて

 モーセへの主の言葉:

あなたたちは

夕暮れには肉を食べ、

朝にはパンを食べて満腹する。

あなたたちはわたしがあなたたちの神、

主であることを知るようになる。出エジプト記16:11~12

 

 アンデレは言った。

「少年の大麦のパン五つと

魚二匹があります。

けれども、こんなに大勢の人々では、

何の役にも立たないでしょう。」

 

エス

「人々を座らせなさい」と言われた。ヨハネ6:8~10

 

 使徒4:32~37

 Ⅰヨハネ5:6~12(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句8/30;木)

 

 エジプトを出て来たイスラエルの民、

徒歩の壮年の男子だけで約60万、

女性や子供を入れると200万とも言われるその人々。

 

 「エジプトの地で、

肉なべのそばにすわり、

パンを満ち足りるまで食べていたときに、

私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。

事実、あなたがた(モーセとアロン)は、

私たちをこの荒野に連れ出して、

この全集団を飢え死にさせようとしている」(出エジプト16:3)

という人々に対して、

天の神、主は、モーセを通して言われたのだそうです。

「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。

彼らに告げて言え。

『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、

朝にはパンで満ち足りるであろう。

あなたがたはわたしがあなたがたの神、

主であることを知るようになる」。

 

 

 イエスが、

人々を避けてガリラヤ湖の東側の寂しいところに行かれたとき、

大ぜいの人の群れがイエスを追いかけて来たのだそうです。

それで、イエスは、

人々を空腹のまま帰らせたくないと思われ、

弟子のピリポに言われたのだそうです。

「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」。

 

 ピリポは

「めいめいが少しずつとるにしても、

200デナリ(労働者200日分の給料)のパンでは足りません」と答え、

 

アンデレは言ったのだそうです。

「ここに少年が大麦のパン五つと小さい魚を二匹持っています。

しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

 

 しかし、イエス

「人々をすわらせなさい」と言われ、

その五つのパンと二匹の魚を取り、

感謝をささげてから分けられると、

男だけで5千人いた人々は食べて満腹し、

余ったパン切れを集めると12のかごがいっぱいになったのだそうです。

 

 天の神、主は、

このようにして、

ご自身が生けるまことの神であることを知らせられる方なのですね。

 

 

 イエス

私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けられ、

墓に葬られ、

三日目、日曜日の早朝、死人の中より新しい霊のからだに復活し、

40日に渡って弟子たちに何度も現れて神の国のことを語ったのち、

オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、

雲に迎えられて見えなくなり、

天の父である神の右の座に帰られた後、

 

 10日後のペンテコステ(五旬節の祭り、

モーセを通して律法が示され、神とイスラエルの民との間で契約が結ばれた記念日)

のその日に、

約束の〔聖である霊〕と呼ばれる方が、待ち望んでいた弟子たちに来られて、

こ弟子たちは、の方によって、

〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、

その御思いのとおりに生きるようになったのだそうです(使徒1:3~9、2:1~4)。

 

 それらの人々は、

心に来た〔父である神〕の御思いのとおりに、

心と思いを一つにし、

だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、

すべてを共有にしていた。

 

 使徒たちは、

主イエスの復活を非常に力強くあかしし、

大きな恵みがそのすべてのものの上にあった(使徒4:32~37)。

神がともにおられたので。

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、

あの時から2000年を経た21世紀に生きる私たちにも、

神に信頼する者とともに働く、神の生きたあかし、証明を受け入れ、

永遠のいのち、

神との関係の中で生きる生き方を

生きさせてくださるのだそうです(Ⅰヨハネ5:6~12)。

今日も。

 

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