風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

陰府の手の中から、不滅の命の中へと

 神は私の魂を贖(あがな)い、

陰府(よみ)の手から取り上げてくださる。詩49:16

 

 イエス・キリストは死を滅ぼし、

福音を通して

不滅の命を現してくださいました。Ⅱテモテ1:10

 

 フィリピ書1:19~26

 コヘレト(伝道の書)7:1~14(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句;9/20;木)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方、

〔父である神〕は、

人となられた〔御子である神〕、

イエス・キリストを十字架刑で処刑することによって、

私たちの魂を死から贖い取り、

私たちを死の世界から買い戻してくださったのだそうです。

死を滅ぼし、

不滅の、永遠のいのちの中へと。

 

 そして、

「生きることはキリスト」、

私が生きることがイエス・キリストが生きることにしてくださるのだそうです。

 

 私自身の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、

エスの十字架刑での処刑に合わせてくださって

処刑された者、死んだものから出て来た思いとして、

神の御前に差し出し、受け取っていただきながら、

 

 イエスを通して来てくださる

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、

 

 イエスと同じように、

「自分からは何事もせず、

〔父である神〕がしようと思われることをしていく(ヨハネ6:38、8:28)者に

していただけるのだそうですから。

 

 そして、「死ぬこともまた益」、

この世を去るならば、

エスによる救いをいただいている者は、

天の御国(パラダイス)で、

エスとともにいることになるのだそうですから(ピリピ1:19~26)。

 

 伝道者(ソロモン王:栄華を極めたソロモンと言われ、やりたいことは全部やった人)は言います。
良い名声は良い香油にまさり、

死の日は生まれる日にまさる。

祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。

そこには、すべての人の終わりがあり、

生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。

 

 悲しみは笑いにまさる。

顔の曇りによって心は良くなる。

知恵のある者の心は喪中の家に向き、

愚かな者の心は楽しみの家に向く。

 

 知恵のある者の叱責を聞くのは、

愚かな者の歌を聞くのにまさる。

愚かな者の笑いは、

なべの下のいばらがはじける音に似ている。

これもまた、むなしい。

 

 しいたげは知恵ある者を愚かにし、

まいないは心を滅ぼす。

 

 ことの終わりは、その初めにまさり、

忍耐は、うぬぼれにまさる。

軽々しく心をいらだててはならない。

いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。

 

 「どうして、昔のほうが良かったのか」と言ってはならない。

このような問いは、知恵によるのではない。

資産を伴う知恵は良い。

日を見る人の益となる。

知恵の陰にいるのは、金銭の陰にいるようだ。

知恵の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。

 

 神のみわざに目を留めよ。

神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。

順境の日には喜び、

逆境の日には反省せよ。

これもあれも神のなさること。

それは後の事を人にわからせないためである。〔コヘレト(伝道の書)7:1~14新改訳〕

なのだそうですから。

 

 「生きるはキリスト」。

エスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

心に、〔父である神〕の御思いを置いていただき、

その、心に来た

〔父である神〕の御思いによって生きる者にしていただきながら。

永遠のいのちの中を、

今日も。

 

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