風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

憐れみに、胸を焼かれる思いで。私たちにも。

 わたしは激しく心を動かされ、

憐れみに胸を焼かれる。

わたしは神であり、人間ではない。

お前たちのうちにあって聖なる者。

怒りをもって臨みはしない。ホセア書11:8~9

 

 罪が増したところには、

恵みはなおいっそう満ちあふれました。ロマ書5:20

 

 使徒5:34~42

 ガラテヤ書2:1~10(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句9/27;木)

 

 神をたたえよ。

神は私たちの祈りを退けることなく、

慈しみを拒まれませんでした。詩66:20

 

 あなたがたの父は、

願う前から、

あなたがたに必要なものを

ご存じなのだ。マタイ6:8

 

 ヘブル書12:1~3 

 ガラテヤ書2:11~21(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句9/28;金)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、

ご自身の民として選ばれながら

背信を続ける北イスラエル王国の人々に対しても、

このように言っておられるのですね。

 

 そして、私たちの罪が増したところに、

それを上回って、

エスによって、

ご自身の恵みを

いっそう満ち溢れさせてくださっていてくださるのだそうです。

 

 この、神から出た恵みの出来事を

人間が滅ぼすことはできないのだそうです(使徒5:39)。

 

 また、人間的な働き、

自分の義を付け加えることもしてはならないのですね(ガラテヤ2:6)。

 

 天の神、主は、

私たちの祈りを受け入れてくださり、

慈しみを豊かに注いでくださるのだそうです。

 

 私たちに必要なものは、

すべて、ご存知で、用意していてくださり、

私たちが求めるのを待っていてくださるのだそうですから。

 

 私たちのまわりには、

この方の恵みを経験した人たちが

雲のように取り巻いているのだそうです。

 

 それで、私たちも、

いっさいの重荷とまつわりつく罪とを、

この方の御前にかなぐり捨てて、

この方に見ていただき、受け取っていただきながら、

前に置かれている競争を走り続けるのですね。

 

 信仰の創始者であり、

完成者であるイエスを見上げながら。

 

 イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、

私たちに代わって、

私たちが受けるはずのはずかしめを受けてくださり、

十字架刑での処刑を受けて、

神に呪われた者として処刑されてくださり、

死んで葬られ、

三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、

40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語ったのち、

オリーブ山で弟子たちが見守る中、

天の〔父である神〕の右の座に帰っておられるのだそうですから。

今日も。

 

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