風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

敵意ではなく、恵みと愛をもって私たちに

 サウロはダビデに言った。

「自分の敵に出会い、

その敵を無事に去らせる者があろうか。

今日のお前のふるまいに対して、

主がお前に恵みをもって

報いてくださるだろう。サムエル記24:20

 

 あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、

途中で早く和解しなさい。マタイ5:25

 

 マルコ3:31~35

 ガラテヤ書3:19~29(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句10/2;火)

 

 民が、天の神、主への信頼だけでは不足として王を求め、

天の神、主によってイスラエル第1代の王とされたサウル。

 

 部下のダビデが戦功を立てるたびに妬みの心が起こり、

ダビデが息子ヨナタンに代わって次の王となることを恐れ、

ダビデを殺そうと、

3千人の精鋭を率いてエン・ゲディの荒野に、

ダビデを捜しに出かけたのだそうです。

 

 そして、サウル王は、

ダビデとその部下が隠れていたほら穴に入って用を足したのだそうです。

 

 その時、ダビデの部下はダビデ

「今こそ、主があなたに

「見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。

彼をあなたの良いと思うようにせよ』と言われた、その時です」と

サウル王を殺すことを勧めたのですが、

 

 ダビデは、

「私が、主に逆らって、

主に油そそがれた方、私の主君に対して、

そのようなことをして、手を下すなど、

主の前に絶対に出来ないことだ。

彼は主に油そそがれたかただから」と、

部下がサウルに襲いかかるのを許さなかったのだっそうです。

 

 そして、ダビデが、サウルの前に身を現し、

こっそり切り取ったサウルの上着の裾を示しながら、

サウルを害する思いのないことを示し、

イスラエルの王はだれを追って出て来られたのですか。

それは死んだ犬、

一匹の蚤を追っておられるのにすぎません」と言ったとき、

サウルがダビデに答えた言葉なのですね。

 

 

 イエスは、

私達のこの人生は、

借金が返せなくて、

訴える人と一緒に裁判官のところへ行く途中のようだ、

と言われているのでしょうかね。

 

 だから、途中で、早く仲直りしなさい、と。

天の神、主、

〔父である神〕も〔御子である神〕イエスも、

私たちに敵意を持っておられる方ではなく、

私たちが支払うべき責任のすべてをご自身に負ってくださって、

エスを十字架刑で処刑することによって

私たちを赦そうとしていてくださるのだそうですから。

 

 私たちをご自身の家族、「子」に、

エスの兄弟姉妹になってほしいと(マルコ3:31~35)

願っていてくださるのだそうですから。

 

 私たちが、示された律法(御思い)を
自分で、自分の力で行って、
神の家族にしていただく資格を獲得し、
子としていただくのにふさわしい者になったから、
というのではなく、

この方への信頼を義と認めていただいて(ガラテヤ3:19~29)。

 

 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

私たちに来て、

〔父である神〕の御思いを私たちの心に置いてくださり、

受け入れる者が

〔父である神〕と心を一つにする者にしてくださるのだそうですから

(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)。

今日も。

 

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