風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

目に見えない方を、見ているように見ながら 

 主は右にいまし、

私は揺らぐことがありません。詩16:8

 

 信仰によって、

モーセは王の怒りをも恐れず、

エジプトを立ち去りました。

目に見えない方を見ているようにして、

耐え忍んでいたからです。ヘブル書11:27

 

 ルカ5:12~16

 ガラテヤ書6:1~10(通読箇所)

  (ローズンゲン日々聖句10/9;火) 

  

 天の神、主、

「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方が

私たちの右にいて、

支え、守ってくださるのだそうです。

私たちが揺らぐことがないようにと。

 

 この方は私たちの目には見えませんけれど、

確かに、居てくださる方なのですね。

 

 モーセも、この方を見ているようにして、

エジプトを立ち去ったのだそうです。

 

 この方は思われたとおりにすることができる方。

この方のことばは、そのとおりに成るのだそうです。

 

 全身ツァラート(ハンセン病)におかされていた人が、

エスの前にひれ伏し、お願いしたのだそうです。

「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます」と。

 

 それで、イエスは手を伸ばして、彼にさわり、

「わたしの心だ。きよくなれ」と言われると、

すぐに、そのひとからツァラートが消えたのだそうです。

 

 そして、イエスご自身は、

よく荒野に退いて

〔父である神〕との

二人だけの時を大切にしておられたのだそうです(ルカ5:12~16)。

 

 〔父である神〕は、

「神のひとりのようになり、

善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、

エスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、

処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そして、三日目に死人の中から復活し、

天の父である神の右の座に帰られたイエスを通して、

〔聖である霊〕と呼ばれる方を

受け入れる者に派遣してくださって、

ご自身の御思いを、

受け入れる者の心に書き付けてくださるのだそうです。

 

 それで、私たちも、

使徒パウロが言うような心にもしていただけるのだそうです。

 

 兄弟たちよ。

もしだれかがあやまちに陥ったなら、

御霊の人であるあなたがたは、

柔和な心でその人を正してあげなさい。

 また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。

 

 互いに重荷を負い合い、

そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。

 

 だれでも、りっぱでもない自分を

何かりっぱでもあるかのように思うなら、

自分を欺いているのです。

 

 おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。

そうすれば、誇れると思ったことも、

ただ自分だけの誇りで、

ほかの人に対して誇れることではないでしょう。

 

 人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。

 

 みことばを教えられる人は、

教える人とすべての良いものを分け合いなさい。

思い違いをしてはいけません。

神は侮られるようなお方ではありません。

人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、

御霊のために蒔く者は、

御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

 

 善を行うのに飽いてはいけません。

失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

ですから、私たちは、機会のあるたびに、

すべての人に対して、

特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。(ガラテヤ6:1~10新改訳)

と言われているような。

 

 〔聖である霊〕と呼ばれる方によって。

今日も。

 

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