風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

新しい創造こそが、大事なのだそうですから

 なぜあなたは神と争おうとするのか。

神はなさることをいちいち説明されず、

一つの事によって、

また二つのことによって語られるが、

人はそれに気づかない。ヨブ記33:13~14

 

 二人の弟子は、

「あの方が道で話しておられるとき、

また聖書を説明してくださったとき、

私たちの心は燃えていたではないか」

と語り合った。ルカ24:32

 

 ルカ13:10~17

 ガラテヤ書6:11~18(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句10/10;水)

 

 一日にして、財産のすべてを失い、

7人の息子と3人の娘を失ったヨブ。

 

 次には、足の裏から頭の頂まで悪性の腫物が出来、

家の中におられず、灰の中にすわり、

土器のかけらで身を掻いていたいたのだそうです。

 

 そして、自分がどうしてこんなことになるのか、神に叫ぶのですが、

自分のことばに、なぜ、神が答えてくださらないのかと、

神と言い争おうとしたのだそうです。

 

 神はある方法で語られ、

また、ほかの方法で語られます。

 

 しかし、御子イエス

私たちの身代わりとなり、十字架刑での処刑を受けて、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑されたもの、死んだものとしてくださっている今は、

エスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

親しく語ってくださるのだそうです。

 

 そのとき、私たちの心は熱く燃えるのですね。

死人の中から復活されたイエスが、

失意の中、エマオ村へ帰る二人の弟子と、道々、話してくださり、

そのとき、ふたりの弟子の心が燃えていたように。

 

 イエスが、ある会堂で教えておられたとき、

そこに18年もの間、病の霊につかれ、

腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女性がいたのだそうです。

 

 イエスは、その女性を見て、呼び寄せ、

「あなたの病気はいやされました」と言って、手を置かれると、

その女性はたちどころに腰が伸びて、

神をあがめたのだそうです(ルカ13:10~17)。

 

 神は、私たちの心を燃やしてくださるだけでなく、

この女性にされたように、

思われたとおりのことをなさってくださる方なのですね。

 

 イエスが受けてくださった十字架刑での処刑によって、

世界は私たちに対して十字架につけられ、

私たちも世界に対して十字架につけられた、

死んだ関係にもしてくださるのだそうです。

 

 もう、自分の努力で神の基準に到達しようとする生き方に死んで、

〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、

この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いによって生きる者、

新しく創造された者の生き方を生きる者に(ガラテヤ6:11~15)。

今日も。

 

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