風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

油が、ランプの芯を通って燃え、周りを照らすように

 ノアは神に従う無垢な人であった。

ノアは神とともに歩んだ。創世記6:9

 

 あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

人々が、あなたがたの立派な行いを見て、

あなたがたの天の父を

あがめるようになるためである。マタイ5:16

 

 ヨハネ18:28~32

 黙示録3:7~13(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句10/19;金)

 

 「人が地上に増え始め、

彼らに娘たちが生まれたとき、

神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、

その中から好きなものを選んで、自分たちの妻とした。

 

 そこで、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

『わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。

それは人は肉に過ぎないからだ。

それで人の齢(よわい)は、120年にしよう』と仰せられた。

 

 主は、地上に人の悪が増大し、

その心に計ることがみな、

いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

 

 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、

心を痛められた。

そして主は仰せられた。

『わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。

人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。

わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ』」(創世記6:1~7)。

 

 

 最初の人、アダムが造られて10代目の頃の様子は

このようだったのですね。

 

 けれども、ノアは主とともに歩む、

主の心にかなった、無垢な、

人のあるべき生き方をしていたのだそうです。

 

 

 イエス

私たちに代わって受けてくださった十字架刑での処刑によって、

「神のひとりのようになり、

善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)

私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑されたもの、死んだものとしていただき、

 

 墓に葬られ、

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、

40日に渡って何度も弟子たちに現れ、

神の国について語ったのち、

オリーブ山で弟子たちが見守る中、

天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスを通して、

私たちに来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。

〔父である神〕は、その〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを、

それぞれの心に置いてくださり、

一人一人がご自身と思いを同じくし、

心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、これを受け取った者は、

自分自身の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、

十字架刑で処刑され、

死んだものから出て来た思いであると認めて横に見ながら、

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る

〔父である神〕の御思いによって生きるようになるのだそうです。

 

 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

その〔父である神〕の御思いが成るよう

働いてくださるのだそうですから。

 

 それで、ランプの油が、ランプの芯を通って燃え、

周りを照らすように、

私たちを通して、

〔父である神〕の御思いが成るよう働かれる

〔聖である霊〕と呼ばれる方の働きの現れが、

ランプの光のように、

私たちの周りを照らすことになるのだそうです。

 

 そして、いつも神と共にいて、

やがて実現する神の都、

神の元から出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、

エスの新しい名とを書きしるされた者と

してくださるのだそうですから(黙示録3:12)。

 

 〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる

〔父である神〕の御思いの中を。

今日も。

 

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