風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自由人として生きるには

主よ、

私は自ら進んでいけにえをささげ、

恵み深いあなたの御名に感謝します。詩54:8

 

 私たちの主イエス・キリストの父である神、

慈愛に満ちた父、

慰めを豊かにしてくださる御が

ほめたたえられますように。Ⅱコリント1:3

 

 Ⅰペテロ2:11~17

 黙示録11:1~2(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/5;月)

 

 天地万物を創造された方、

イエス・キリストの父である神は、

さまよい出ている私たちをも、なお、愛し、

追い求めてくださって、

エスによって

私たちをご自分の子にしてくださる方なのだそうです。

 

 それで、私たちも、

イエス・キリストによって、

この方を父と呼んでいいのだそうです。

 

 この方は、

慈愛に満ちた方、

慰めを豊かにくださる方、

どのような苦しみのときにも、私たちをなぐさめてくださり、

私たちが、

この方から受けた慰めによって、

どのような苦しみの中にいる人をも

慰めることができるようにしてくださるのだそうです。

 

 それで、私たちも、

自分から進んでささげものをし、

この方に感謝をあらわすのですね。

 

 そして、神の子として、

天の御国をやがて帰る故郷とし、

この世にあっては、旅人、寄留者として生きるのですね。

 

 たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけ、

人々の中にあってりっぱにふるまうのですね。

 

 そうすれば、

なにかのことで私たちを悪人呼ばわりしている人も、

私たちのその立派な行いを見て、

おとずれの日に神をほめたたえるようになるのだそうですから。

 

 それで、人の立てたすべての制度に

主イエスのゆえに従うのですね。

それが主権者である王であっても、

また、悪を行なう者を罰し、善を行う者をほめるように

王から遣わされた総督であっても。

 

 善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、

神の御心なのだそうですから。

 

 自由人として、

その自由を、悪の口実に用いないで、

神の奴隷として用いるようになるのだそうです。

 

 すべての人を敬い、

兄弟たちを愛し、

神を恐れ、王を尊ぶのだそうです(Ⅰペテロ2:11~17)。

 

 イエス・キリストを通して来てくださる

〔聖である霊〕と呼ばれる方が

受け入れる者の心に置いてくださる〔父である神〕の御思いは、

そのような方向なのだそうですから。

 

 自由人として、

自分から進んで、

自分を神にささげ、

御思いの中を。

神に感謝と賛美をささげながら。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

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