風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

土台の杭を岩盤にまで届かせて

岩と頼むのは私たちの神のみ。サムエル記2:2

 

 イエスの言葉:

私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、

岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。マタイ7:24

 

 Ⅱコリント6:1~10

 黙示録22:6~15(通読箇所)

(ローズンゲン日々聖句11/16;金)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方だけが、

岩と頼むことができる方なのだそうです。

 

 それで、〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる

この方の御思いを自分の土台として人生を建てていく者は、

どんなに打ち付ける嵐にも倒れることはないのですね。

 

 この方と思いを同じくし、

心を一つにして、

神と共に働く者としていただけるのだそうですから。

 

 そして、この務めがそしられないために、

どんなことにも人につまずきを与えないようにと、

あらゆることにおいて、

自分を神のしもべとして推薦するのだそうです。

 

 非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、

また、純潔と知識と、寛容と親切と、

聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力により、

左右の手に持っている義の武器により、

 

 また、ほめられたり、そしられたり、

悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、

自分を神のしもべとして推薦するのだそうです。

 

 人をだます者のように見えても、真実であり、

人に知られないようでも、よく知られ、

死にそうでも、生きており、

罰せられているようであっても、殺されず、

悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、

貧しいようでも、多くの人を富ませ、

何も持たないようでも、

すべてのものを持つようにしていただけるのだそうです(Ⅱコリント6:1~10新改訳)。

 

 〔御子である神〕、イエスは言われます。

「見よ。わたしはすぐに来る。

わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、

わたしの報いを携えて来る」と。

 

 それで、不正を行う者はますます不正を行い、

けがれたものはますます汚れを行ない、

正しい者はいよいよ正しいことを行ない、

聖とされたものはいよいよ聖なるものに、

神の御思いを土台として人生を建て上げる者は

いよいよ神の御思いと思いを一つにしていくのだそうです。

時が近づいているのだそうですから(黙示録22:10~12)。

今日も。

 

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