風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

嘆きの日は終わるのですね。私たちにも

あなたの嘆きの日は終わる。イザヤ書60:20

 

 神が彼らの目から

涙をことごとくぬぐわれる。黙示録7:17

 

 マルコ13:1~8

 黙示録22:16~21(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/17;土)

 

 その日には、

太陽がもう受け入れる者の光とはならず、

月の輝きも受け取った者を照らさず、

天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が

受け取った者の永遠の光となり、

この方が受け取った者の光栄となる。

あなたの太陽はもう沈まず、月はかけることがない。

天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が

永遠の光となり、

受け取った者の嘆き悲しむ日が終わるのだそうです(イザヤ60:19~20)。

 

 御座の正面におられる小羊、

私たちの身代わりとなって命をささげてくださった方が、

受け取った者の牧者となり、

いのちの水の泉に導いてくださるのだそうです。

そして、神は

受け取った者の目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのだそうです。

 

 そのことが実現する前兆として、

キリストの名を名乗る者が大ぜい現れ、

「私こそそれだ」と言って、多くの人を惑わすのだそうです。

戦争があり、

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、

方々に地震があり、

飢饉も起こるのだそうです。

 

 人々は、イエスを受け入れた者たちを議会に引き渡し、

会堂でむち打ち、イエスのゆえに裁判にかけます。

けれども、それが証しをする場となり、

そのようにして、

福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられるのだそうです(マルコ13:1~10)。

 

 だから、これらのことが起こるのを見たら、

その日が近づいていると知るのですね。

 

 イエスは言われます。

「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」

 

 御霊も花嫁とされた者も言うのですね。

「来てください」と。

 

「渇く者は来なさい。

いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい」

と言ってくださっているのだそうです。

 

 嘆きの日は終わり、

神が私たちの目から涙をことごとくぬぐわれる日が

近づいているのだそうですから。

今日も。

 

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