風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の、恵みの業をするように、と。私たちにも 

稼ぎが多くても正義に反するよりは、

わずかなもので恵みの業をする方が幸い。箴言16:8

 

 兄弟を踏みつけたり、

あざむいたりしてはいけません。

主はこれらすべてのことについて

罰をお与えになるからです。Ⅰテサロニケ4:6

 

 ルカ13:(1~5)6~9

 ロマ書2:1~11

 イザヤ書1:21~31(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/21;水)

 

 正義によって得たわずかなものは、

不正によって得た多くの収穫にまさる、のですね。

 

 だから、人を踏みつけたり、あざむいたりして多くのものを得るよりも、

わずかであっても恵みの業をするほうが幸いなのだそうです。

 

 天の神、主は、これらすべての事について、裁きをなさり、

私たちに清潔を得させようとしておられるのだそうですから。

 

 イエスは私たちのために、

実が実らないで、切り倒されようとするいちじくの木を、

「もう1年そのままにしてやってください。

木の回りを掘って、肥やしをやってみますから」と

主人に執り成すぶどう園の番人のように(ルカ13:6~9)、

執り成していてくださるのだそうです。

 

 だから、

神の、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじないように、

と言われるのですね。

神は、忍耐をもって善を行い、

栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、

永遠のいのちを与え、

党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、

怒りと憤りをくだされるのだそうですから。

 

 それで、

〔神の御子〕である方が、人となって人の世に来られ、

私たち、すべての人間の身代わりとなって十字架刑での処刑を受けて、

私たちの

「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)

〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑されたもの、死んだものとしてくださったのだそうです。

 

 そのうえで、受け入れる者に、

〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、

この方が受け入れる者の心に

〔父である神〕の御思いを置いてくださり、

受け入れる者が

〔父である神〕と思いを一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。

 

 私たちの心を、恵みの業をする、純潔な心に。

今日も。

 

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