風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

見せ、体験させ、喜ばせようと

御救いを愛する人

神をあがめよと

いつも歌いますように。詩70:5

 

 群衆はこぞって、

エスがなさった

数々のすばらしい行いを見て

喜んだ。ルカ13:17

 

 黙示録21:10~14、21~27

 イザヤ書7:10~17(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/1;土)

 

 イスラエルの王、ダビデはうたいました。

神よ。私を救い出してください。

主よ。急いで私を助けてください。

私のいのちを求める者どもが、恥を見、

はずかしめを受けますように。

私のわざわいを喜ぶ者どもが退き卑しめられますように。

「あはは」と笑う者どもが、

おのれの恥のためにうしろに退きますように。

 

 あなたを慕い求める人がみな、

あなたにあって楽しみ、喜びますように。

あなたの救いを愛する人たちが、

「神をあがめよう」と、いつも言いますように。

 

 私は、悩む者、貧しい者です。

神よ。私のところに急いで来てください。

あなたは私の助け、私を救う方。

主よ。遅れないでください(詩篇70新改訳)と。

 

 

 イエスのときも、

群衆は、イエスがなさったすべての輝かしいみわざを見て、

喜んだのだそうです。

 

 使徒ヨハネは、

やがて実現する、天から下って来る聖なる都、

新しいエルサレムの幻を見て喜んだのですね。

 

 都には神の栄光があった。

その輝きは高価な宝石に似ており、

透き通った碧玉(へきぎょく)のようであった。

都には大きな高い城壁と12の門があって、

それらの門には12人の御使いがおり、

イスラエルの子らの12部族の名が書いてあった。

 

 12の門は12の真珠であった。

どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。

 

 都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。

私は、この都の中に神殿を見なかった。

それは、万物の支配者である、

神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。

 

 都には、これを照らす太陽も月もいらない。

神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。

諸国の民が、都の光によって歩み、

地の王たちはその栄光を携えて都に来る。

都の門は一日中決して閉じることがない。

そこには夜がないからである。

こうして、人々は

諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る(黙示録21:11~12、21~26)

のだそうですから。

 

 

 神は、イザヤを通して預言して言われました。

「見よ。処女がみごもっている。

そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」(イザヤ7:14)。

 

 そして、それから700年ほど後、

「どうしてそのようなことになりえましょう。

私はまだ男の人を知りませんのに」(ルカ1:34)というマリヤを通して

〔御子である神〕が、人間イエスとなられ、

 

 この知らせを受け、急いでベツレヘムへ行って、

マリヤとヨセフと、

飼い葉おけに寝ておられるみどりごとを探し当てた羊飼いたちは、

見聞きしたことが、全部御使いの話しのとおりだったので、

神をあがめ、賛美しながら帰って行った(ルカ2:16~20)のだそうです。

 

 〔父である神〕は、

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

これからしようと思われる御思いを私たちの心にも置いてくださり、

私たちに、それが実現するのを見せ、喜ばせてくださるのですね。

今日も。

 

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