風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

栄光の位を継ぐとき、やがていただける恵みを待ち望みながら

主は、

弱い者を塵の中から

立ち上がらせられた。サムエル記上2:8

 

 羊飼いは、

見失った羊を見つけたら、

喜んでその羊を担(かつ)いで行った。ルカ15:5

 

 Ⅰペテロ1:(8~9)10~13

 イザヤ書8:1~15(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/;月)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

弱い者を塵から起き上がらせ、

貧しい人を、あくたから引き上げ、

高貴なものとともに、座らせ、

彼らに栄光の位を継がせられる方。

 

 迷い出た羊を捜し歩き、

見つけたら、大喜びでその羊を肩にかついで、帰って来て、

友だちや近所の人たちを呼び集め、

「いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んで下さい」と

大喜びをする方なのだそうです。

 

 私たちは、そのイエスを信頼し、魂の救いを得ています。

エスを見たことはないけれども愛しており、

いま見てはいないけれども信頼しており、

ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びに踊っています。

 

 旧約聖書を書いた預言者たちも、

自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、

キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、

だれを、また、どのような時をさして言われたのか、

熱心に尋ね、細かく調べたのだそうです。

 

 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、

今の私たちのための奉仕であるとの啓示を受けました。

 

 そして今や、それらのこと、イエスに関する救いのことは、

天から送られた聖霊によって

私たちに福音、喜ばしいニュースを語った人々を通して、

私たちに告げ知らされているのですね。

 

 それで、私たちは、心を引き締め、身を慎み、

イエス・キリストの現れ(二度目に来られる)のとき

私たちにもたらされる恵みを、

ひたすら待ち望んでいるのですね(Ⅰペテロ1:8~13)。

 

 さまよい出て、迷ってしまう私たちを、

捜し求め、

起こし、立ち上がらせてくださる方によって、

御思いを心に置いていただきながら。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

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