風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

告げられたことばのとおりを体験して

主の助けを得て
私の心は喜び躍ります。
歌をささげて
感謝いたします。
詩28:7

 

 羊飼いたちは、
見聞きしたことがすべて
天使の話したとおりだったので、
神をあがめ、
賛美しながら帰って行った。
ルカ2:20 ルカ2:(1~14)15~20

 

 テトス書3:4~7
 マタイ1:18~5(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句12/25;火)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は
私の力、私の盾、
私の心は主により頼み、私は助けられた。
それゆえ私の心はこおどりして喜び、
私は歌をもって、主に感謝いたします。

 

 あの夜も、
雇われて、野宿しながら、
野で羊の晩をしていた貧しい羊飼いたちは、
「今、私は
この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
今日ダビデの町で、
あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリスト(神の子である救い主)です。
あなたがたは布にくるまって
飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。
これが、あなたがたのためのしるしです」
との天使の知らせを聞いて、
急いで、ダビデの町、ベツレヘムへ行き、
布にくるまって飼い葉おけに寝かされている赤ん坊のイエスを見つけ、
全部が御使いの話したとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行ったのだそうです。

 

 このイエスによって、
私たちの救い主である神の
いつくしみと人への愛が現れたのですね。

 

 神は、私たちの行った義のわざによってではなく、
私たちは、
神に認められるような義のわざを行なうことができないにもかかわらず、
ご自分のあわれみのゆえに、
〔聖である霊〕と呼ばれる方による、
新生と更新との洗いをもって
私たちを救ってくださいました。

 

 〔父である神〕は、
この〔聖である霊〕と呼ばれる方を、
私たちの救い主であるイエス・キリストによって、
私たちに豊かに臨ませてくださっているのだそうです。

 

 それは、私たちが
キリストの恵みによって義と認められ、
永遠のいのちの望みによって、
神の国を相続する者となるため、
なのだそうです(テトス3:4~7)。

 

 〔父である神〕は、
私たちにも、イエスによって、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を豊かに臨ませてくださり、

 

 この方によって、ご自身の御思いを私たちの心に置いてくださり、
私たちが心に来た、
その〔父である神〕の御思いに聞きながら、
御思いと思いを一つにしながら
生きるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 その、〔聖である霊〕と呼ばれる方の御業の中に一歩踏み出してみて、
なにもかも、全部、聖書に書かれているとおりであることを体験して、
心が喜びおどり、
神をあがめ、賛美するようにしていただけるのだそうですから。
私たちも。
今日も。

 

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