風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

今すでに輝いているまことの光の中へ

闇が去って、
すでにまことの光が輝いている。
Ⅰヨハネ2:8b(1/6の週の聖句)

 

 主の言葉:
わたしの民が
わたしに聞き従うものであったなら!
詩81:14

 

 実に、

すべての人々に救いをもたらす

神の恵みが現れました。

 その恵みは、

私たちが不信心と世俗的な欲望を捨てて、

この世で、

思慮深く、正しく、

信心深く生活するように教えています。テトス書2:11~12

 

 マタイ2:1~12
  詩72(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/6;Ⅰ日曜)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
「われわれのかたちとして、
われわれに似せて」(創世記1;26)と願われ、
私たち人間をつくられたのだそうですね。


 「われわれ」、
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
自分の思いを主張されるのでなく、
愛し合うゆえに、
思いを同じくし、心を一つにし、
行動を一つにし、存在を一つにしておられるのだそうです。

 〔御子である神〕も〔聖である霊〕と呼ばれる神も、
〔父である神〕への愛のゆえに、
ただ、ひたすら、
〔父である神〕の御思いが成るようにと
願っておられるのだそうです。

 

 そして、人間の始祖、アダムとエバは、
その、「神の一つの中にある者を」との願いで造られていながら、
その造られた場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになり、
神に反逆し、神に対立、対抗する者に
なったのだそうです(創世記3:5、22)。

 

 その時、二人の目が開け、
ふたりは、自分たちが裸であることを知り、
いちじくの葉で身をおおい、
神である主の御顔を避けて
木の間に身を隠したのだそうです(創世記3:7~8)。

 

 それ以来、私たち人間は、
本心をおおい隠し、天の神、主から身を隠すもの、
暗やみを愛する者になっているのだそうです。

 

 天の神、主は、
そのような私たちに対して、
「律法」というかたちでご自分の思いをあらわし、
人が自分の力で
ご自身と心を一つにすることができるかどうかを実験されました(出エジプト24:3、7)。

 

 そして、その結果は、
「ああ、わたしの民がわたしに聞き従い、
わたしの道を歩いたのだったら!」と嘆くしかないもの、
人間には期待できないことが明らかになる結果だったのだそうです。

 

 それで、天の神、主は、
最初のご計画のとおりに、
ご自分の側で救いの道を用意してくださったのだそうです。

 

 〔御子である神〕が、
預言されていた「女の子孫」(創世記3:15))として、
ダビデの子孫である処女マリヤの胎を通して
人間イエスとして人の世に来られたのですね(マタイ2:1~12)。

 

 そして、すべての人間の「的外れ」の責任をご自身に負って
十字架刑での処刑を受けられて、
すべての人間の処刑が終わっていることにしてくださったのだそうです。

 

 それで、これを受け取り、
自分を処刑済みのもの、死んだものとしてもらった者は、
自分のうちから出て来るどんな悪い思いも、
全部、天の神、主の御前に差し出し、
見ていただき、知っていただけるようになったのですね。

 

 全部、イエスが受けてくださった十字架刑での処刑で
処刑済みになっていることにしていただけて。

 

 そして、天の神、主の御前に差し出したもの、
明るみに差し出したものは、みんな、
光の中の出来事、
明るみの出来事にしていただけるのだそうですから(エペソ5:13~14)。

 

 そのうえで、〔父である神〕は、
十字架に架かり、死んで葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのです。

 

 そして、その御子イエスを通して、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださり、
この方によって受け入れる者の心に、
私たち一人一人に思っておられるご自身の思いを置いてくださり、
私たちの心に、

ご自身の思いがあるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 受け入れる者が、
エスと同じように、
ご自身と思いを同じくし、心を一つにして、
思慮深く、正しく、信心深く生活し、
ご自身がしようと思われることをし(ヨハネ8:28、14:12)、
そして、御思いのとおりを地に実現していくようにと(詩篇72)。


 思いのすべてを、心の端々までも、
主に見ていただきながら。

 この新しい週も。

 

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