風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

ご自身の子になってほしいと、天の神、主が、私たちに

神の霊につて導かれる者は皆

神の子なのです。ロマ8:14 

 

 ひととき、

激しく怒って

顔をあなたから隠したが、

とこしえの慈しみをもって

あなたを憐れむと、

あなたをあがなう主は言われる。イザヤ54:8

 

  神の憐れみが

あなたを悔い改めに導くことも知らないで、

その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを

軽んじるのですか。ロマ2:4

 

 マタイ3:13~17

 詩71(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖霊句;113;Ⅱ日曜)

 

 彼らは私の民となり、

わたしは彼らの神となる。

彼らは真心をもって

わたしのもとへ帰って来る。エレミヤ書24:7

 

 神は、

すべての者の主なる

エス・キリストによって

平和の福音書を宣べ伝えて、

イスラエルの子供らに

お送りくださった。使徒10:36

 

 使徒10:27~48

 創世記7:17~24(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖霊句1/14:月)

 

 天の神、主、

「私はある(I am)という者」と名乗られる方は、

ご自分の民、イスラエルに対して怒りを現し、

一時期、支えていた御手を離されたのだそうです。

でも、とこしえの憐れみをもつて、

ご自分の民を、

そして、私たちを愛し、

とこしえの慈しみをもって

私たちを憐れんでいてくださるのだそうです。

 

 その慈しみと憐れみによって、

永遠の初めから、

〔御子である方〕を

私たち人間の身代わりのあがないの小羊として処刑し、

私たちをあがなおうと心に定めておられたのだそうです。

 

 そして、そのご計画の時が満ちて、

御子である方が、

「女の子孫」(創世記3:15)として人の世に来られ、

十字架刑での処刑を受けられたのですね。

 

 その死によって、

神から離反し、

「神のひとりのようになり、

善悪を知る者になっている」(創世記3:5、22)、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑が終っているもの、

死んだものとしてくださるのだそうですね。

 

 そのうえで。

受け入れる者にもうひとりの方、

聖霊である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、

この方の働きで、受け入れる者の心に

〔父である神の〕の御思いを置いてくださって、

受け入れる者が、〔父である神〕と思いを同じくし、

心を一つにして生きていくようにしてくださるのだそうです。

神の子として生きる者にと。

 

 そして、

すべての人が心を向き変えて、ご自身に立ち返り、

ご自身と思いを一つにして生きて欲しいと

願っておられるのだそうです。

その豊かな慈愛と寛容と忍耐をもって。

 この新しい週も。

 

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