風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

さまよい出て、失われていた私たちを捜し出して

わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。

それは彼らとの永遠の契約となる。エゼキエル書37:26

 

 キリストはおいでになり、

遠く離れているあなたがたにも、

また、近くにいる人々にも、

平和の福音を告げ知らせられました。エフェソ書2:17

 

 ガラテヤ書5:1~6
 ロマ書1:18~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/23;水)


 彼らは泣きながら帰って来る。
わたしは彼らを慰めながら導き、
流れに沿って行かせる。
彼らはまっすぐな道を行き、
つまずくことはない。
わたしはイスラエルの父となる。
エレミヤ書31:9

 

 人の子は、
失われたものを捜して救うために来たのである。
ルカ19:10

 使徒15:22~31
 ロマ書1:24~32(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/24;木)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちと新しい契約を結んでくださるというのですね。
平和の契約、永遠の契約を。

 

 自分の罪過と罪との中に死んでいて、
それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として
今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいた私たち。

 キリストから離れ、
イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みなく、神もない者であった私たちとも。

 

 十字架刑での処刑を受けられ、
墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ神の国について語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスを通して来られる〔聖である霊〕と呼ばれる方が
私たちの心にも、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
書きしるしてくださって、
私たちが〔父である神〕と一つ思い、
一つ心になって生きるようにしてくださるのだそうですから。

 

 神に対立、対抗している私たちの心を、
神との平和な関係に。

 

 律法的生き方によって自分の義を立て、
自分の力、自分の功績で神の前に立とうとする生き方から、
自分には何にもないまま、神に信頼し、
神の恵みをいただいて、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
義をいただく生き方に切り替えていただいて(ガラテヤ5:1~6)。

 神の子の身分をいただき(エレミヤ31:9)、
エスと同じように、
〔父である神〕に、
「アバ、父」と呼びかけながら(ロマ8:15)。

今日も。

 

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。
また、教会に行っていないけれど、葬儀はキリスト教で、等の

お問い合わせもどうぞ。)

 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >

<imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a