風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主の御言葉を口ずさみながら。昼も夜も。

義とされた人は流れのほとりに植えられた木。
時が巡り来れば実を結び、
葉もしおれることがない
。詩13

 

 あなたがたが豊かに実を結び、
わたしの弟子となるなら、
それによって、
わたしの父は栄光をお受けになる。
ヨハネ15:8


 ナホム書1:2~6
 ロマ書7:7~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/7;木)


 イエスの十字架刑での処刑による死と、
死人の中からの新しい霊のからだへの復活により、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣していただき、
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いによって、
〔父である神〕と思いを一つにして生きる者は、
流れのほとりに植えられた木、
ぶどうの木にしっかりつながっている枝のよう。
〔父である神〕の御思いを受けて
豊かに実を結ぶことになるのだそうです。

 

 私たちは、本来、
「的外れ」の責任を問われて滅びる者です(ナホム1:2~6)。
けれども、神はなお、そのような私たち人間を大切に思っていてくださって、
私たちを、
「われわれのかたち、われわれに似せて」(創世記1:26)、
「わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)ひとつである」ように(ヨハネ17:21~23)との
最初の、創造の目的に回復しようとしていてくださるのだそうです。

 

 イスラエルの民に、
モーセを通して律法というかたちでご自身の御思いを知らせ、
このイスラエルの歴史を通して
私たち人間がいかに「的外れ」になっているかを明らかにし(ロマ7:7~13)、
このイエスによる救い、回復を受け取るようにとの願いを込めて。

 

 流れのほとりに植えられた木が水を十分に受けて、
あるいは、ぶどうの木の枝が幹からの樹液を受けて
実を豊かに結ぶように、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて、
〔父である神〕の御思いが豊かに実現していく生き方を生きるように、と。

今日も。

 

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お問い合わせもどうぞ。)

 

 

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