風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「私たちの父」、贖い主になってくださって

主よ、あなたは私たちの父です。
「私たちの贖い主」
これは永遠の昔からあなたの御名です。
イザヤ書63:16

 

 イエスの言葉:
だから、こう祈りなさい。
「天におられる私たちの父よ。
御名が崇められますように。」
マタイ6:9

 

 ヨハネ3:31~36
 ロマ書8:31~39(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/13;水)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
エスによって私たちの父となってくださった方、
「私たちの贖(あがな)い主」という名をもって呼ばれている方、
なのですね。

 

 私たちは、異邦人であって、イスラエルの国籍がなく、
もろもろの契約とも無関係で、
神なく、望みなく生きている者でした(エペソ2:12)。

 

 けれども、その、私たちにも、
エスは、ご自身が命をかけて、間もなく、成し遂げられる
贖(あがな)いの御業の完成を見据えて、
この方を「父よ」と呼びなさいと言ってくださっているのですね。

 

 〔父である神〕は、
このイエスを神から遣わされた〔御子である神〕と信じ、
信頼してついて来る者には、
永遠のいのちで生きる者、

ご自身との具体的な関わりの中でご自身を体験しながら生きる者(ヨハネ17:3)、
としてくださるのだそうです。

 

 御子を無視し、
神の御子イエスによって完成した恵みを受け取らない者は、
いのちを見る、
体験することなく、
自分の責任を自分で負う(ヨハネ3:36)ことになるのだそうですから。

 

 このイエスによる神からの恵みを受け取り、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって
〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを
死んだ者から出て来た思いとして御前に差し出しながら、
〔父である神〕の御思いによって生きる者(ヨハネ3:34)について、
使徒パウロは言います。

 

 「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、
いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 

 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、
飢えですか、危険ですか、剣ですか。

 

 私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、
圧倒的な勝利者となるのです。
死も、いのちも、
御使いも、権威あるものも、
今あるものも、後に来るものも、
力ある者も、高さも、深さも、
そのほかどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません(ロマ8:33~39)、と。

 

 天の神、主が、
私たちの父、「贖い主」となっていてくださるのですから。

今日も。

 

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