風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

新しい心に。新しい霊によって。

わたしはお前たちに新しい心を与え、
お前たちの中に新しい霊を置く。
エゼキエル書3626

 

 あなたがたは罪から解放され、
義に仕えるようになりました。
ロマ書6:18

 Ⅰコリント2:6~10
 ロマ書9:6~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/15;金)


 私たち自身である、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっていて(創世記3:22)、
天の神、主の創造の目的から
「的外れ」になっているのだそうです。

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
その私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
エスが受けられた十字架刑での処刑によって、
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、受け入れる者に、新しく、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 この方は、受け入れる者のうちにあって、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
置いてくださるのですね。

 それで、受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いが来て、
受け入れる者の心に
〔父である神〕の御思いがあるようになるのですね。

 私たちが、
自分自身である〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて
「死んだ」とされた者から出て来た思いであると計算して、
これを神の御前に差し出しながら、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来た
〔父である神〕の御思いを自分の思いとして生きる者とし、
私たちの心を一新し(ロマ12:2)、
新しい心で生きる者にしてくださるのだそうです。

 

 罪、「的外れ」から解放され、
義、天の神、主と心を一つにして、
神の御思いを実現していく者に。

 

 この世の知恵ではなく、
隠された奥義としての神の知恵で(Ⅰコリント2:6~7)で生きる、
約束の子ども(ロマ9:8)としてくださって。

今日も。

 

 

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