風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

深いあわれみのゆえに、嘆願の祈りを

私たちは、
あなたの深いあわれみのゆえに、
伏して嘆願の祈りをささげます。
ダニエル書9182/17の週の聖句)

 

 諸国の民よ、
我らの神を祝し、
賛美の歌声を響かせよ。
神は我らの魂に命を得させてくださる。
我らの足がよろめくのを許されない。
詩66:8~9

 

 神のご計画によって定められたのは、
以前からキリストに希望を置いていた私たちが、
神の栄光をたたえるためです。
エフェソ書1:12

 

 マタイ20:1~16
 詩60(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/17;Ⅲ日曜)

 

 天の神、主に対して、
私たちが願いをささげるのは、
神の深いあわれみを足掛かりにしてのことなのですね。

 

 私たちの側にあるのは背きだけ。
こらしめを、罰を受けるだけ、ですから。

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方は、
私たちに対する、ご自身の深いあわれみによって、
私たちにいのちを得させ、
私たちを守り、支えてくださるのですから。

 ご自身のご計画のとおりが私たちに実現し、
私たちが希望と喜び、
感謝に満ちあふれるようにと。

 

 労働者を雇いに来たぶどう園の主人が、
夕方、5時頃雇われて、
1時間しか働かなかった人に、
まず、最初に、
朝から働いた人と同じに、
1デナリ(当時の労働者の1日の賃金)を払ってくれたように(マタイ20:1~16)。

 

 ぶどう園の主人は、
彼が、夕方まで、今日の収入がない不安の中で過ごし、
ぶどう園に行ってからも、
いくらもらえるのか、不安の中にいることを
かわいそうに思っていたのでしょうね。

 

 私たちも、この神のご愛とあわれみの中で
助けをいただくことができるのですね。

 

 そして、私たちを通しても、
ご計画のとおりに、御思いのとおりに、
力ある働きを実現してくださる。
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
私たちの心に願いを起こし、志を与えて(ピリピ2:13)。
私たちをご自身と思いを、心を一つにする者として。

この新しい週も。

 

 

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