風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

包み、いやし、身を低くする者を高めて

神は傷つけても、包み、
打っても、その御手でいやしてくださる。
ヨブ記5:18

 

 神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。
そうすれば、
かの時には高めていただけます。
思い煩いは、
何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを
心にかけていてくださるからです。
Ⅰペテロ5: 6~7

 

 ルカ19:1~10
 ロマ9:30~10:4(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/18;月)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(
I am)という者』と名乗られる方は、
私たち人間が、自分の思うままに進み、
その結果を身に受け、痛い目にあっている時にも、
ご自身の御手を伸ばして私たちをいやしてくださる方なのだそうです。

 

 そして、そのまま進めば滅びるしかない、
その私たちの道をとどめ、
ご自身との正しい関係に連れ戻してくださるのだそうです。

 そして、私たちが、
神の力強い御手の下で自分を低くするとき、
ちょうど良い時に、私たちを高くしてくださるのだそうです。

 私たちのことを心にかけ、心配していてくださり、
私たちの思いわずらいのいっさいを
ご自身に引き受けようとしていてくださるのだそうですから。

 

 エリコという町にいたザアカイという取税人のかしら。
ローマ帝国のために、同国人から税金を取りたて、
しかも、規定以上に取りたてて自分の私腹を肥やし、
金持ちになっていました。

 

 その嫌われ者のザアカイが、
エスがエリコを通られるとき、
エスを見ようと、木に登って、
下を通るイエスを見おろしていたのだそうです。

 

 すると、イエスは上を見上げて、
このザアカイに、自分から声をかけたのだそうです。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。
きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」、と。

 

 それで、ザアカイは急いで降りて来て、
大喜びでイエスを迎えたのだそうです。

 

 これを見て、人々は、
「あの人は罪人のところに行って、客となった」とつぶやいたのだそうです。

 

 しかし、ザアカイは、イエスに言ったのですね。
「主よ。ご覧ください。
私の財産の半分を貧しい人たちに施します。
また、だれからでも、
私がだまし取った物は、4倍にして返します」(ルカ19:1~10)、と。

 

 このように、天の神、主は、
私たち、失われた者を捜して救ってくださる方なのだそうです。

 

 神の基準に到達する義の行いのない私たちも、
エスへの信頼を義と認めて(ロマ9:30~10:4)。

 

 十字架刑での処刑を受け、
死んで葬られ、
三日目に、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方が
私たちの心に、
〔父である神〕の御思いを置き、
受け入れる者の心に
〔父である神〕の御思いがあるようにしてくださるのだそうです。
受け入れる者が、
〔父である神〕と心と思いを一つにしながら進むようにと。

 

 思い煩いの一つ一つを神に申し上げ、
知っていただきながら。

今日も。

 

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