風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

悪魔の業を滅ぼそうと

 悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、
神の子が現れたのです。
Ⅰヨハネ38b3/10の週の聖句)

 

 私は黙し続けて、
絶えまない呻きに骨まで朽ち果てました。
御手は昼も夜も私の上に重く、
私は罪をあなたに示し、
咎(とが)を隠しませんでした。詩32:3,4,5

 

 このように、
一人の罪人が悔い改めれば、
神の天使たちの間に喜びがある。
ルカ15:10

 

 マタイ4:1~11
 詩64(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句3/10;Ⅱ日曜)


 ヤコブは眠りから覚めて言った。
「まことに主がこの場所におられるのに、
私は知らなかった。
創世記28:16

 

 恵みの時に、
わたしはあなたの願いを聞き入れた。
救いの日に、
わたしはあなたを助けた。
Ⅱコリント6:2

 

 Ⅱテサロニケ3:1~5
 サムエル記上9:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/11;月)


 神の独り子であられる方が栄光の御座を後にして、
「女の子孫」(創世記3:15)、
人間イエスとして人間の世に現れてくださったのは、
悪魔の働きを滅ぼすためだったのですね。

 

 人間は、天の神、主によって、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、
「父がわたしにおられ、わたしが父にいるように、
彼らもわたしたちにおり、
わたしたちがひとつであるように、
彼らも(わたしたちと)一つである」(ヨハネ17:21:23)ように
との願いで造られたのだそうです。

 

 悪魔は、
その、神と人間との一つになっている関係を壊し、
断絶させようとしているのですね。

 

 そして、
アダムとエバがいちじくの葉で腰を隠し、
木の間に身を隠したように(創世記3:7~8)
言の葉で身をおおい、
身をかくしていくようにさせるのだそうです。

 

 けれども、〔父である神〕は、
御子イエスを十字架刑で処刑することによって、
私たち人間の「的外れ」の責任を処罰済みとしてくださり、
私たちが、ありのままの、このままの姿で、
罪を、咎(とが)を隠すことなく言い表し、
御前に、光の中に差し出すようにしてくださっているのだそうです。

 

 それで、今まで、自分の罪をおおい隠し、
神から身を隠していた者の一人が方向転換をして
神に向きなおり、
神に身をあらわにしていくとき、
天使たちの間にも感嘆の叫びと喜びが起こるのだそうです。

 

 そして、神は、いつも、いつまでも、
その者と共にいてくださり、
その者の願いを聞いてくださり、
助け、守ってくださるのだそうです。
この新しい週も。

 

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