風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

良いものの全てを自分のものにしたい私たちの心を

あなたの隣人の妻を欲してはならない。申命記5:21

 

 愛は隣人に悪を行ないません。ロマ書13:10

 

 ヨブ記1:1~22

 サムエル記上9:15~10:16(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句3/12;火)


 本当の愛は、
愛する相手といつも一緒にいたい、
心と思いを一つにしたい、
相手の思っていることが成ってほしいと願うものなのだそうです。


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
その愛でもって愛し合っておられる方々なのですね。

〔父である神〕は、
〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神に、
ご自身のすべてを明かしておられ、

〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神は、
ご自分の思いが成ることを願わず、
ひたすら、〔父である神〕の御思いが成るようにと願っておられる方、

 

 そのような愛によって、心を一つにしておられる方、なのだそうです。

エスが、自分からは何事もせず、
ただ、父が思っておられることをしているとおっしゃっておられるように(ヨハネ5:19、6:38、8:28、12:49~50)。


 天の神、主は、
そのような愛によって、ご自身と一つになるものをと願い、
私たち人間を造られたのです。(創世記1:26)、

 

 けれども、私たちの祖先、アダムとエバは、
もっと素晴らしい者、自分の思いを実現していく者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになったのだそうです(創世記3:5、22)。
天の神、主の、創造の目的から「的外れ」になっている者に。

 

 それで、私たち、アダムとエバの子孫は、この「的外れ」を引き継いでいて、
いつも自分が一番前に、一番上にいたいと願い(イザヤ14:13~14)、
そうなれない自分をいとい、自己嫌悪におちいるのですね。

 また、自分の欲望のままに、
良いもののすべてを独り占めにしたい者になっているようです。

 

 それで、隣人の妻を欲しがり、
隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろばなど、
隣人のもの、自分に与えられていないものを欲しがるようになっているのですね。

 

 天の神、主は、そのような私たちの「的外れ」を解決し、
最初の創造の目的のとおりに、
愛によって、ご自身と一つになる者に回復しようとしていてくださるのだそうです。

 

 イエスが、
「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになり、
わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるためです」(ヨハネ17:21~22)と言われたように。

 

 今から2000年ほど前、
〔父である神〕は、旧約聖書で預言しておられたとおりに、
〔御子である神〕を「女の子孫」(創世記3:15)、
人間イエスとして人の世に派遣し、
この方がおよそ33歳の頃、十字架刑によって処刑し、
天と地の間にさらしものにされたのですね。

 

 そして、私たち一人一人をイエスに合わせられたものとし、
私たち自身である、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
この、イエスの十字架刑での処刑に合わせて、
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。


 そのうえで、受け入れる者に、
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 そして、この方の働きで、
私たちの心にご自身の愛の御思いを置き、書きしるしてくださるのだそうです。

 

 それで、受け入れる者の心に
〔父である神〕の愛と御思いがあるようになり、
受け入れる者は愛によって
〔父である神〕と思いと心を一つにするようにしていただけるのだそうです。

 

 イエスのように〔父である神〕がしようと思われることをし、
隣りの人を大切にするようにも。

今日も。

 

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