風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天の父の御心を行なうように、と

私たちは主が語られたことを
すべて行い、守ります。
出エジプト記24:7

 

 イエスの言葉:
だれでも、
わたしの天の父の御心を行なう人が、
わたしの兄弟、姉妹、
また母である。
マタイ12:50

 

 ヨハネ16:29~33
 サムエル記上16:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/20;水)


 主はうずくまっている人を起こされる。詩146:8

 

 兄弟たち、
私たちは、
あらゆる困難と苦難に直面しながらも、
あなたがたの信仰によって励まされました。
あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、
今、私たちは生きていると言えるからです。
Ⅰテサロニケ3:7~8

 

 Ⅰヨハネ1:8~2:2(3~6)
 サムエル記上16:14~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/21;木・祝)

 

律法的生き方、
律法によって義と認められようとする生き方では、
律法のすべてを行ない、
完全に守ることが要求されるのですね。

 

一度でも、1回でも律法を破れば、
その人は失格者とされるのだそうですから。

 

だから、
イスラエルの人々の歴史によって証明されたように、
この、律法の行いによって義とされようとする道においては、
「義人はいない。
ひとりもいない。
悟りのある人はいない。
神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、
みな、ともに無益な者となった。
善を行う人はいない。
ひとりもいない」(ロマ3:12)
のだそうです。

 

それで、
〔父である神〕は、
律法とは別に、
しかも律法と預言者によってあかしし、預言していた、
もう一つの道を実現してくださったのですね。

 

エスが受けられた十字架刑での処刑による死によって来る
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊の処刑と死、

そして、イエスの復活と、
天の〔父である神〕の右の座への復帰を通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
心に〔父である神〕の御思いを置いていただいて、
受け入れる者が、
〔父である神〕と〔御子である神〕、
〔聖である霊〕と呼ばれる神の愛において、
神と心と思いを一つにする、新しい生き方における新生。

 

それを、〔父である神〕からの恵みのプレゼントとして、
信頼をもって受け取るようにと。

 「天の父の御心を行なう」、
この「父である神」からの恵みのプレゼントを受け取る、
そのことにおいて、受け入れる者は
神によって義とされたもの、
神の家族としていただけるのだそうですから。

 

私たち、「信じます」といっても、
エスの弟子たちがそうであったように、
私たちの信仰は頼りにならないものなのですね(ヨハネ16:29~33)。

それで、神は、
私たちの信仰など当てにされないで、
ご自身の側で一方的に成してくださった救いの御業を、
ただ、信頼して受け取るようにと願っていてくださるのだそうです。

 

自分の信仰の無さを体験してうずくまっている者を起こし、
立たせて、
「的外れ」になっている
「生まれたときからの私」という霊から出て来る思いによって
生きるのではなく、
〔父である神〕の御思いの中で
生きるようにしてくださるのだそうですから(Ⅰヨハネ1:8~2:2)。

今日も。

 

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