風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心も、存在も、一つになろうと

 わたしは諸国民の前で、
自分を聖なる者として示す。
わたしが、先祖に与えると誓った地、
イスラエルの土地に導き入れるとき、
お前たちは
わたしが主であることを知るようになる。エゼキエル書20:41、42

 

 わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたと共にいる。マタイ28:20

 

 Ⅰペテロ2:1~10
 ロマ書15:14~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/3;金・祝)

 


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
西暦紀元前2000年の頃、アブラハムに誓われた約束を、
4000年ほど後の今日、成就しておられるのですね。
イスラエル建国という、この歴史の中の事実として。

 

 天の神、主は、
このことにおいても、
ご自分が他の神々と呼ばれている者とは全く違う、
別の者であることを明らかにしておられるのですね。
前もって告げ、そのことばのとおりを実現する、
このようなことができる神がほかにあろうか、と。

 

 この方は、私たち人間と一つでありたい、
いつも、すべての日々に一緒にいるようになりたいと
願っていてくださるのだそうです。

 

 それで、【神の御子】である方が、
天の栄光の座を後にして、
「女の子孫」(創世記3:15)として、
ダビデ王系列であるナザレ村の一処女、
マリヤの胎を通して人の世に来られ、
およそ33歳の頃、十字架刑での処刑を受けて受けてくださったのだそうです。

 

 私たち、すべての人間の「的外れ」の責任をご自身に負い、
神に背く者、神に呪われたものとなって。

 

 このイエスが受けられた処刑によって、
【父である神】は、私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 神と一つになる者をとの願いで造られていながら(創世記1:26、ヨハネ17:21~22)、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になってしまっている私を。

 

 そのうえで、【父である神】は、
エスを死人の中から新しい霊のからだに復活に復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語らせた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天のご自身の右の座に復帰させなさったのですね。

 

 そして、このイエスを通して、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を、
受け入れる者に派遣してくださり、
この方がいつも、いつまでも受け入れる者と共にいてくださるように
されるのですね(ヨハネ14:16)。

 

 この方によって、私たちの心に、ご自身のの御思いを置き、
受け入れる者のうちにご自身の御思いがあるようにし、
【父である神】と心を一つにする者にしてくださりながら
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 やみの中にいる者、神の民ではなかった私たちを光の中に招き入れ、
神の民とし、
あわれみを受けない者であったのに、あわれみを受けた者、
選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民とし、
すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、
すべての悪口を神の御前に投げ捨てながら、
生まれたばかりの乳飲み子のように、
純粋な、みことばの乳を慕い求めるように(Ⅰペテロ2:1~10)と。

 

 神の御思いによる善意にあふれ、
神から来る知恵に満たされ、
御思いのとおりに互いに訓戒しながら(ロマ15:14)。

 

約束のことばのとおりに、
今日も。

 

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